聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

ピーター・ハイアムズ監督『カプリコン・1』(『サイコ』との意外な類似性)

1978年製作のアメリカ・イギリス合作映画『カプリコン・1』を久しぶりに見ました。
脚本も書き、撮影もこなすことのある(今回はやってませんが)職人監督ピーター・ハイアムズの個性が出たアメリカ映画らしいアメリカ映画です。

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allcinemaでは「初の有人火星探査船カプリコン1に打ち上げ直前トラブルが発生、3人の飛行士は国家的プロジェクトを失敗に終らせないため、無人のまま打ち上げられたロケットをよそに地上のスタジオで宇宙飛行の芝居を打つ事になる……」とあらすじが紹介されていますが、「3人の飛行士が芝居を打つ」んじゃなくて、国家の命令によって「芝居を打たされる」んですよね。小さいけれど大きな違い。

当然、国家の命令ですから逆らうことなど到底不可能。最初はしぶしぶ芝居を打ちますが、だんだんと反抗心が芽生えてきて脱走します。
ここまでは、陰謀を暴きかけたNASAの職員が消されたり、どうもおかしいと探り出した新聞記者が消されそうになったり、いかにもな陰謀サスペンスの展開なんですね。「陰謀顔」のハル・ホルブルックが黒幕でなければここまで盛り上がらなかったんじゃないかと思えるほど、ハルさんの顔が活きてますね。ここまでは本当に面白いんですよ。
 が、後半は国家が差し向けた軍のヘリコプターとのアクションシークエンス満載のB級アクション映画へと変貌します。

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私は、この展開が何度見ても好きになれなかったんですよね。国家の陰謀が根底に流れている映画なのに、陰謀顔ハル・ホルブルックがほとんど出てこないというのは、やはりどう見てもつまらない。というか淋しい。もっとハルさんを出して!と思ったのは私だけではないはず。

オーラスがどうなるかは未見の方のために伏せておきますが、何とも陰謀映画には似つかわしくないほど爽やかな幕切れといいますか、すごく笑えるんですよね。あそこで笑えるかどうかでその人の笑いの価値観が測れると思います。笑わない人はたぶんまったく笑えないでしょう。笑えるからいいと言っているのではなく、あくまでも価値観の違いです。

だから、後半のヘリコプターと農薬散布機(テリー・サバラス特別出演!)とのチェイス・シーンは前半の陰謀サスペンスとラストの喜劇的結末を架橋するための「幕間」のような役目を果たしているのかな、と今回初めて思いました。

譬えるなら、ヒッチコックの『サイコ』で、主人公かと思われていたジャネット・リーが有名なシャワーシーンで殺されてアンソニー・パーキンスへと主人公の座が移りますが、その移行において、アンソニー・パーキンスがジャネット・リーの死体を始末する場面が異様に長く描かれます。あの場面を簡単に処理してしまったら「主人公の入れ替わり」という一大発明がスムーズになされなかったと思われます。あそこであれだけの時間をかけてアンソニー・パーキンスだけを映し続けたからこそ観客は主人公ジャネット・リーの死を受け容れ、新主人公アンソニー・パーキンスの到来に何ら不自然を感じなかったのだと。

とするなら、この『カプリコン・1』においての、あの不必要なまでに長いと思われるヘリコプターのシーンも、陰謀サスペンスの結末としてはあまりに爽やかで笑えるラストシーンを観客に受け容れさせるためのものだったんじゃないか。陰謀顔のハルさんをほとんど登場させなかったのもそのためじゃないか。

この手の映画で、123分という上映時間はすごく長い。かつてのハリウッドなら95分がせいぜいでしょう。しかし、それを言うなら『サイコ』だって90分ぐらいで語れる内容です。それが110分になってしまったのは、ひとえに主人公の入れ替わりを納得させるために必要な場面を入念に描いたからでは?(ジャネット・リーが殺される直前のアンソニー・パーキンスとの会話も異様に長かった)

この『カプリコン・1』も、あのラストシーンを成立させるためにこの長さが必要だったのだと思われます。ヒッチコックはおそらくすべて計算ずくでしょうが、傑作と駄作の落差が激しいピーター・ハイアムズがどこまで自覚的だったかはわかりません。おそらくは偶然の産物、と言ったら怒られますかね。





夏の新ドラマ

本当なら、今クールは内館牧子さんの『エイジハラスメント』と北川景子の『探偵の探偵』、そして満島ひかりがピョン吉の声を演じる『ど根性ガエル』を見る予定だったんですけど、どれも手元不如意のため逃してしまいました。

それなら、と少し遅めに始まった次の4本をとりあえず見始めてみました。

『表参道高校合唱部!』(TBS、金曜10時)

うーん、いまどきスポ根ものははやらないのでは? スポーツじゃなくて合唱ですけど、根底の精神はスポ根でしょう? 「さまざまな困難にめげずに健気に頑張るヒロイン」というのはもう見飽きました。
生徒役の役者さんは全員オーディションで選んだということですが、どうにも主役の女優さんに華がないというか。歌はすごくうまいんですけどね。

『煙霞 Gold Rush』(WOWOW、土曜10時)

これはなかなか面白かったです。
大阪が舞台ということで俳優陣をすべて関西出身者で固めるというこだわりに好感をもちます。関西弁がすごく滑らかで自然だし。とはいえ、桂文珍はすごくいい人というイメージがあるので悪徳理事長の役をやられてもそんなに悪い人には見えないんですよね。人選ミスかな、と。
世の人が抱いているブラック企業とは違って、理事長が私物化している私立高校をブラック企業として登場させるというのはすごく意義深いと思います。
理事長を脅迫して待遇改善を図るつもりがその理事長が誘拐されて事件に巻き込まれてしまう、という物語展開も楽しく、あと3回しかないというのがすごくもったいない気がします。

『ナポレオンの村』(TBS、日曜9時)

これはもう何も言う気が起きません。つまらない! の一言。あんな市長がいるかなぁ。

『恋仲』(フジテレビ、月曜9時)

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客観的に見るとなかなかよろしいのではないでしょうか。でも、私はこういう「すれ違い」や「勘違い」で葛藤が生まれるドラマが好きじゃないんですよね。でもこれはただ単に好みの問題。『ナポレオンの村』みたいに「悪意」が物語を駆動するのではなく、「善意と善意」のぶつかりがドラマを生むという作劇術は王道ですね。
大人になった現在から高校時代を振り返るフラッシュバック形式にもちゃんと意味があって違和感がないですし、随所随所に小さな意外性があって、ラストには大きな意外性をもってきて次回につなげる、という脚本にはとても好感をもちました。
本田翼の体操服姿を見て、「結構太ってるんだな」と思ったのは私だけではないはず。

とりあえず、『煙霞』と『恋仲』は次も見てみようと思います。



私がデモに参加しない理由

戦争法案の強行採決のため、国会前では数日前からかなり大規模なデモが行われているようです。

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私自身、戦争法案には大反対なので行きたい気持ちはあるし、ちょっと地下鉄に乗れば行けるところでやってるんですけど、行っていません。時間がないからとかそういう理由ではなく、何となくイヤなのです。

私は何が嫌いと言って「祭」ほど嫌いなものはないんですよね。みんなでワッショイワッショイとやるあれが大嫌いでして。
私をよく知る人なら「確かにおまえはそういう奴だよな」と思うはずです。それほど自他ともに認める「祭嫌い」なのです。

ちょっと前に読んだ、蛭子能収さんの『ひとりぼっちを笑うな!』に書いてありましたが、蛭子さんは「デモに参加するのも何かイヤなんですよ。やりたい人はやったらいいけど、僕はやらない。群れるの嫌いだから」とおっしゃっています。

私の気持ちもこれとほとんど同じですね。

何だかデモって「数の力」を感じてイヤなんですよ。強行採決した政治家たちを数の力で勝手なことやってると言ってますが、言ってる当人たちが数に頼ってるようなところがどうにもイヤなんです。そうじゃない! という声がすぐ聞こえてきそうですが、僕にはどうしてもそう感じられてしょうがないのです。

だって、ツイッターなんかを見ていると「今日、国会前でデモがあるらしい。行こう!」とツイートしてる人たちがたくさんいますが、誰かが始めた運動の尻馬に乗ってるだけに感じられてしまうのです。根がひねくれ者だからでしょうか。

おそらく、デモに参加する人たちは「自分からは何もしない人たち」なのです。「誰かがやってるから自分も」という人たちなのです。乗り遅れまいと必死に流行を追いかける人たちに似ています。

デモを仕掛ける人は非常に勇敢だと思います。その尻馬に乗る人たちのことを批判するつもりもありません。

ただ、私自身がそういう人間であるのはイヤだ、というそれだけのことを言いたいのです。

それじゃあ世の中は変わらないよ、という声が聞こえてきそうですが、それはまた別の話では? デモだけが世の中を変える武器じゃないんですしね。



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