2016年05月23日

イタリアカップやドイツカップの結果が出るなか、今日はスペイン国王杯。

リーガを制したバルサと、ELを制したセビージャ。どちらが勝っても2冠ですが、冷や汗ものでリーガ優勝を決めたバルサより、リバプールに逆転勝ちしてEL3連覇したセビージャに分があると思ってました。

実際、キックオフ直後はバルサに攻め込まれてましたけど、徐々に激しいプレスからボール奪取の場面が多くなってバルサに自由を与えてませんでしたよね。特にメッシを前半は完全に抑え込んでいた印象があります。イニエスタだけは全体を通して抑えられてませんでしたが。

37分にマスチェラーノが決定的チャンスを潰したということで一発退場。
しかも、あろうことか、エース、ルイス・スアレスが57分に怪我でラフィーニャと交代。

バルサにとっては痛すぎるほど痛い2つの事故で、こりゃもうセビージャの勝ちだろうとマドリディスタの私はワクワクしました。

ところが、セビージャの選手もそう思ってしまったらしく、それ以降、奪ってからの前への推進力がなくなってしまいました。スアレスもいないし相手は一人少ないし、そのうち先制点が決まって楽に勝てるだろう、みたいな緩い戦いぶり。

セビージャの敗因はそこに尽きると思います。

逆にバルサは緊急事態に加え、主審の判定がセビージャ寄りだと不満を募らせます。私の目には別にどちら寄りでもないと思いましたが、バルサの選手たちにはそう見えた。で、燃えたんですね。いくら主審がセビージャに贔屓してもスコアで上回ったら優勝だ! と。

バルサの勝因はそこでしょう。

結局、後半終了間際にバネガがこれまたネイマールの決定的チャンスを潰したとの判定で一発退場に。流れを引き寄せたバルサは延長前半に意地の一発で先制。浮足立ったセビージャもチャンスを何度か作りましたが、時すでに遅し。流れは完全にバルサでした。

最後は、メッシからの素晴らしいスルーパスからネイマールがさすがの一撃でジ・エンド。


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マドリディスタの私ですら今日のバルサの勝利には熱い思いを禁じえませんでした。

やはり、サッカーは気持ちでやるものだな、と。勝ったと思ったら負け、負けるかもと思ってるほうが勝つ。

不思議なものです。不思議ですけど、当然といえば当然なのかも。





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2016年05月22日

2009年の『アバター』がきっかけで第二次か第三次かよく知りませんが、3D映画がブームになりましたよね。


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以来、ずっと3D映画が公開され続けていますが、私はもともと少しも好きじゃないし、いつかは廃れると思っています。

好きじゃない理由としては、下の画像が如実に語ってくれます。



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アカデミー美術賞を受賞した『アパートの鍵貸します』での、主人公ジャック・レモンが働くオフィスの風景。実際はあんな向こうまでデスクが並んでるわけじゃないのに、そういうふうに見えるようセットがデザインされてるんですよね。(レンズにも何らかの工夫があるのかもしれません)

このカットに顕著なように、映画というのは二次元ですけど、二次元でありながら三次元のように見せる技術で発展してきたメディアなのに、なぜわざわざ特別なメガネをかけてほんとに三次元に見せる必要があるのか、と保守的で古典的映画が大好きな私は3D映画の興隆がとても厭だったのです。

以上のようなことをある人に言ったら、

「でも、サイレントからトーキーになったり、白黒からカラーになったり、映画は技術発展してきたわけで、そのときにも君みたいに『映画に音があるなんて』とか『映画に色があるなんて』と厭な気がした人はたくさんいただろうけど、それは不可避の発展だった。2Dから3Dへの移行もそれと同じじゃないのか」

と言われたんです。

そのときは、あ、なるほど、自分は浅薄だった、と思ったりもしたんですが、やはり違うと思うようになりました。

だって、サイレントからトーキー、白黒からカラーへの移行というのは、「できるだけ現実世界と同じ世界を描きたい」という「芸術的欲求」から生み出されたものじゃないですか。

でも、2Dから3Dへの移行というのは、テレビジョンの台頭で斜陽になり始めた映画界が復権の糸口にするためのものでしょう? 昔はテレビ、いまはDVD。どちらにしても映画館に来る人の減少が最大の理由で、それに対抗するために、という「商売人的欲求」が基礎になっています。

そういうのって長続きしないと思うんです。

しかし、現実世界は3次元なのだから3Dはトーキーやカラーと同じ「できるだけ現実世界と同じ世界を描きたい」という芸術的欲求もあるんじゃないの? という考え方もあるでしょう。

しかしながら、それなら肉眼だけで立体に見えないと意味がありません。わざわざ3D眼鏡をかけないと立体に見えないというのは「現実世界の表現」ない。

実際、テレビジョンの発明・普及した50年代から60年代だって続かなかったし、ここ数年の流れでも、ひと頃に比べると3D映画の興行収入って減ってきてるらしいですし。みんなあれが「現実世界の表現」とは思ってないんですよ。料金も高いから「結局商売でしょ」と白け始めたのではないか。

最近は3Dテレビなども出始めたため、映画では4Dとかいろいろあるみたいですが、結局「商売人的欲求」が底流している以上、長続きしないと思います。

やっぱり『アパートの鍵貸します』のセットデザインみたいに「芸術的欲求」こそが人の心を打つと思うのです。





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2016年05月11日

4月から新しい連続ドラマが始まりましたが、今回は前クールほど見まくっていません。

テレビ雑誌見てやたら気になったものだけ見てます。

まずは単発ドラマでは、昨年スマッシュヒットを飛ばした『民王』の続編『民王スペシャル ~新たなる陰謀~』


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総理とその息子の脳が入れ替わる物語ですが、なぜ入れ替わるのかとか、誰の陰謀とかがわかった以上、総理と息子の脳(というか脳波)を入れ替えるだけではもう展開がもたず、他のすべての閣僚たちの脳が幼稚園児たちと入れ替わってしまうという「物語のスケールアップ」が行われるんですが、スケールはアップしても面白さはダウンしちゃうんですよね。だって、シンプルさがなくなったから。

総理と息子の脳が入れ替わり、息子の無垢な思いを聞いて総理が初心を取り戻すというこのドラマ本来の面白さがどこかへ行ってしまい、単に悪をやっつけるだけの話になってしまいました。残念!

この『民王』で高橋一生演じる貝原という秘書がやたら印象的なんですが、『民王スピンオフ ~恋する総裁選~』ではこの貝原を主人公として、本編の5年前の出来事が描かれます。


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これがやたら面白かった! 
恋する総裁選というのは、総裁選を闘うにあたり、貝原が仕える政治家(升毅)を当選させるためのコンサルタントか何かの役で貝原の初恋の人(相武紗希)が出てくるからなんですが、こっちのほうははっきり言ってどうでもよくて、貝原がなぜ升毅に仕えているのか、その真意をめぐるドラマのほうがよっぽど面白い。

貝原の父親は升毅の秘書だった男で、升毅が起こした不祥事を自分がやったこととして死ぬんですが、貝原は父の仇敵に仕えてるんですね。で、最後になぜかが明かされます。父親の遺書には「責任をかぶって死ぬのも秘書の仕事だ。だからおまえもあの男に仕えてほしい。しかし、もしあの男が国民の敵になった場合は、ためらわずに刺せ」と。

升毅はある法案を通そうと考えていて、それが国民を不幸にすると思った貝原は父親の遺言どおり総裁選最終盤で升毅を裏切るんですね。それも、父親から刺すための道具として託された、升毅と暴力団幹部が一緒に酒を飲んでる写真を使って。

で、升毅の秘書を辞め、私物を入れた段ボールを抱えてウロウロしていると、遠藤憲一演じる武藤から声がかかる。「うちへ来い。ただし、俺は裏切るなよ」「いえ、裏切るべきときが来たら裏切ります」「なかなかいい根性してるな」という最高の会話が二人の出逢いの場でなされていたことがわかってエンドマーク。

もうお腹いっぱい。

「裏切るべきときが来たら裏切ります」と胸を張って明言する誇り高き男、貝原。
そんな男を「見どころがある」と笑顔で言う武藤。

人と人との本当の出逢いとはこういうものなんだろうな、としびれましたぜ。ああいう信頼関係ってなまなかなことでは崩れないだろうし、現に昨年のテレビシリーズではびくともしなかった。なるほどね。


さて、連ドラでは今クールで見始めたものは3本だけ。


『トットてれび』
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原作は読んだし、若手実力派No.1の満島ひかりが黒柳徹子を演じるというのは興味津々だったので見始めたんですが、どうにもつまらなくて2回目の途中で見るのやめました。

やはり、あのとき何があった、とか、あの出来事の裏にこういうことがあった、とかいうのは「情報」としては面白いんですが、致命的なことに「ドラマ(劇)」になってないんですよね。主人公と葛藤対立する存在がいませんもの。
あと偉い人の役で武田鉄矢が出てますけど、他に誰かいなかったんですかね? 武田鉄矢が画面に映るだけでドラマ自体がダサく感じられるのは私だけではないではず。


『奇跡の人』
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岡田惠和さん脚本ということで見始めました。内容も面白そうだったし。
確かに面白いんですけど、一話一話が長くないですか。各シーンが長いというか間延びしてるというか、もっとスパスパスパッと展開してほしいんですが。次で見るのやめるかもしれません。

さて、あともう1本、クドカンの『ゆとりですがなにか』も見てるんですが、この傑作なのか凡作なのかよくわからない問題作についてはまだまだうまく言葉にできないので、また後日に。





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