聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

『ターミネーター』第1作(古さを感じさせない活きの良さ)

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すでに公開中の『ターミネーター/新起動(ジェネシス)』を見るべく1と2を見直そうと思い、まず1から。

もう31年も前になるんですか。当時としちゃかなりショッキングな出来事でしたかな。あまり憶えてませんが。

しかし、この映画のアクション・シークエンスの斬新なこと。31年たっても少しも古びてない。この2年前に製作された『ブレードランナー』にかなり似ている場面もあれば、ラストのしつこさはこの13年後の『ブレーキダウン』(もう誰もこのカート・ラッセル主演映画のことを語る人はいなくなってしまいましたが)にしっかりと受け継がれているなぁ、と思ったり。

この映画の何が素晴らしいといって、やはり「神話」の構造が映画全体を支えていることですよね。

ヒーローになるべき人間がいて、彼女を抹殺しようとするターミネーターと、彼女を助けようとする援護者がいて。

この映画のリンダ・ハミルトンはヒーロー(というかヒロインか)になるにはまだまだ恐れの門に入りかけというか、援護者たるマイケル・ビーンが死んだとき初めてヒーローになるべく自ら悪漢を倒そうとします。そして見事そのミッションを成功させ、ヒーローとして次世代のヒーローを生むべく暗雲の漂う未来へ向かって車を走らせていく。

この映画はテレビの洋画劇場で初めて見たんですが、当時、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にはまっていた友人が、『ターミネーター』にはタイムパラドックスの面白さがないからつまらない! と言ってさんざんけなしていました。

でも、この映画はそういう映画じゃないですよね? あくまでもヒーローになるべき人間を助けるために、そのヒーローの父親が自己犠牲をし、その姿に主人公が触発されて完全無敵の悪役を倒すというところに最大の面白さがあるわけですから。


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それにしてもリンダ・ハミルトンもマイケル・ビーンも、もちろんシュワルツェネッガーも若い! 31年も前ですもんね。リンダ・ハミルトンっていまはどんな顔になってるんだろ。はたして『ジェネシス』には登場するのでしょうか?

これから2を見ます。

その感想
『ターミネーター2』(最後がいまだにわからない!)
『新機動/ジェネシス』(がっかり拍子抜け!)



対米従属とクール・ジャパン(永続敗戦論)

社会学者・白井聡さんの著書『永続敗戦論』をようやく読むことができました。(もう出版されて2年以上たってるんですね)

敗戦を受け容れないことは「敗戦」を「終戦」と言い換えることに象徴されていて、そのような意識が消滅しない以上、永続的に敗戦は続いていくという主旨。

素晴らしく面白かった本ですが、私は143ページに書かれている文言に一番気を引かれました。

「自己目的化した対米従属を相も変わらず追求する先輩たちに対して批判的立場をとる彼ら(中略)も永続敗戦の構造に目を向けようとしない。『米国の言いなり』どころか『米国の言いそうなことの言いなり』になることによって、日米以外の諸国との関係において何を失うことになるのか、彼らは考えもしないのである」

そして、白井さんは、

「いったい、そのような国を世界の誰が尊敬するというのだろうか」

と憤っています。

この一節を読んだときに、「クール・ジャパン」という概念が浮かびました。というか、その概念を礎に日々作られ垂れ流されている「日本のここがすごい!」という主旨のテレビ番組の数々が。

あれは、世界の誰からも政治的に尊敬されないのなら、文化的に尊敬されるネタならこんなにあるじゃないか、という「自慰」にすぎないのではないか。

世界中から尊敬されたい。でも対米従属を続けているかぎり政治的な尊敬を得ることはできない。それなら…という無意識が働いていることは想像に難くありません。

あの手のテレビ番組を見て、日本人である私たち自身の胸の内にある卑俗な政治意識を感じ取り、少しでも変わっていかなければ。

あるイタリア人の小説家がこんなことを言っていました。

「小説を書いても世界を変えることはできない。でも、自分が変わることはできる」

同志たちよ、変わっていこうではありませんか。

 


「将来役に立つ学問」という傲慢

もう結構旧聞に属することかもしれませんが、文科省が人文科学など文系の学問は実社会に出てから役に立たないからとかいう理由で学部ごと廃止すると言いだして問題になりましたが、これはまことに愚かなことです。

尾木ママは、「一番役に立つ学問は哲学、倫理だ。文系の学問こそ役に立つ」と言ってますが、そういうふうに反論するのは敵の土俵で戦うことになってしまって良くないと思います。

「将来役に立つ」かどうかで学問を評定することが愚かなのです。

とはいえ、「役に立たないことこそが人生を豊かにするのだ、無駄なことが大事なのだ」という言説も、結局は学問を役にたつかどうかで評定しているという意味では文科省の政治家・官僚たちと同列でしょう。

私はまず「役に立つ」より「将来」のほうに大きな問題があると思うのですよね。

例えば、中学生なんかが「数学なんて勉強したって将来役に立たない」と言う。確かに一理あるかもしれません。しかしながら、十年後、二十年後の自分が数学と縁のない仕事に就いてるかどうかなんて、なぜ「いま」の時点でわかるのでしょうか。

いま役に立っていないものは将来も同じように役に立っていないはずだ、という前提で彼らは文句を言っていますが、それは論理的に誤ってますよね。誰も将来の自分がどうなってるかなんてわからない。未来を見通せる人間はいません。

「将来役に立つ」とか「将来役に立たない」とかいう言説はすべて「未来を見通すことができる」という神を畏れぬ傲慢な精神から発しているのです。

もっと謙虚にならなければ。将来自分がどうなっているかわからない。だから、いま必要と思われるものだけでなく、こんなの不必要としか思えないものもきちんと学ぶ。

本来そういうことを教えるのが「学校」であり、「学問」の礎だと思うのですが…。



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