聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

『レインマン』(ラストショットに監督の迷いを見た)

1988年製作、バリー・レビンソン監督、トム・クルーズ主演による『レインマン』を久しぶりに再見しました。

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え? トム・クルーズ主演!? ダスティン・ホフマン主演じゃないの???

そりゃまあホフマンはアカデミー主演男優賞を受賞してますが、本当の主演ではありません。マーロン・ブランドが主演男優賞を獲り、アル・パチーノが助演男優賞候補となった『ゴッドファーザー』と事情は一緒ですね。ネームバリューの大きいほうが主演扱い。でも本当の主演は『レインマン』ではトム・クルーズであり、『ゴッドファーザー』ではアル・パチーノです。(『ゴッドファーザー』の主演は誰かという解説はこちらをご覧ください)

この『レインマン』では、まずトム・クルーズ演じるチャーリーが中古車会社の社長を務めていますが業績が悪いらしく、近日中に借金を返済できないと倒産の憂き目に遭うという設定から始まります。

次が、チャーリーの親父が死んだという連絡。親父さんは大金持ちだったのでチャーリーは遺産が入る、これで倒産は免れると期待します。しかし、遺産の300万ドルはすべてある人間に譲るという遺言が残されていました。そんな馬鹿な! そのある人物とは誰だ!? とチャーリーは管財人のところへ突っ走ります。そこである人物の正体を知ります。チャーリーの唯一の肉親、兄のレイモンド(ダスティン・ホフマン)でした。レイモンドは自閉症を患っており金の価値がわからない人間でした。

冗談じゃない、金の価値のわからない人間に300万ドル? いくら何でも半分の150万ドルは俺に権利があるはずだと誘拐同然にレイモンドを連れ去るチャーリー。

そのチャーリーがレイモンドをロサンゼルスの自分の家に連れ戻るまでの6日間に兄への愛情が湧き、「もう金なんかどうでもいい、お兄さんと一緒に暮らせるなら」と思うものの、一緒に暮らす許可は下りず、レイモンドはもとの病院へ連れ戻されます。

会社は倒産、たった一人の肉親であり愛してやまないレイモンドとは引き離されたチャーリーは、レイモンドを乗せた列車が遠ざかっていくのをただただ呆然と見送るのみ…。

というのが物語のあらましです。

やはりこの映画は鼻持ちならない傲慢男チャーリーの変化、そして変化したときには時すでに遅しという運命の皮肉を描いているのだからチャーリーが主人公、つまりトム・クルーズが主役です。レイモンドはチャーリーを困らせるトラブルメーカーにすぎません。弟を振り回す兄を描いているのではなく、兄に振り回されながらそんな兄に愛情を抱く弟を描いているのです。

と、ここまで説明しても「やっぱり『レインマン』の主役はダスティン・ホフマンだ」という人が結構います。それほどまでに「主演」男優賞を獲ったという威光は強いのでしょうか。

さて、本題はここからです。

チャーリーの心の変化がきちんと描き尽くされているかというと、どうも煮え切らないものを感じます。変化した一番のきっかけラスベガスでの大儲けなんでしょうが、大金を稼げたから変化した、兄への愛情が湧いた、というのでは、金の亡者が「金なんかどうでもいい」という心境へと変化したことにはならないんじゃないでしょうか。

ヴァレリア・ゴリノ演じるチャーリーの恋人も明らかにレイモンドを愛しているようです。キスまでしちゃうし。チャーリーは鼻持ちならない傲慢な男で、いくら亡父に対する恨みがあったとはいえ相続人のレイモンドをあまりに無茶に扱いすぎです。

そのチャーリーの変化を描くのが眼目で、ラストシーンはかなり印象的ですが、やはり変化のきっかけがラスベガスでの大儲けというのが痛いですね。あれではやはり変化したように見えないんです。

チャーリーは本当に変化したのか。もう鼻持ちならない傲慢男ではなくなったのか。監督バリー・レビンソンの迷いが見て取れるのがラストショットです。

あの画像がいくら探してもないので、興味のある方は映画本編を見てください。古典的ハリウッド映画の作法ではありえないショットなのですよ。

もう金なんかどうでもいい、お兄さんと一緒に暮らせるなら。そこへの心境の変化が描き切れているかは疑問としても、脚本家の狙いがそこにあるのは確かです。それならば、ラストですべてを失った主人公チャーリーがレイモンドを乗せた列車を呆然と見送るショットは、主人公の心情に寄り添うならクロースアップかせめてバストショットであるべきだし、主人公を客観的に突き放すならフルショット、またはロングショットで撮るべきでしょう。

しかし実際には、バストショットより大きめのウエストショットなんですね。バストショットでもフルショットでもなくウエストショットを撮ったバリー・レビンソンの迷い。

上述の「チャーリーは本当に改心したのか?」という疑問が最後まで頭から離れなかったんじゃないでしょうか。だから寄り添っていいのか突き放して撮るべきなのかすらわからず、ウエストショットという中途半端なショットになったのではないか、というのが私の仮説です。

この映画はスピルバーグとかさまざまな人が監督として名前が挙がりながら撮影直前まで決まらず、バリー・レビンソンに落ち着いたという話ですが、脚本に疑問があるとスピルバーグや他の監督たちは降りたんじゃないですかね? しかしプロデューサーのマーク・ジョンソンはバリー・モローとロナルド・バスの脚本に固執し、『ダイナー』でデビューさせた子飼いのバリー・レビンソンを引っ張り出すことになった。しかしそのレビンソンも脚本を読んで同じ疑問を感じ、中途半端なラストシーンになったのだと推察します。

あのラストシーンはサイズだけでなく、普通なら列車とトム・クルーズをもっと何度も執拗にカットバックしてもよさそうなのにえらくあっさりと終わってしまいます。

そういうところにも監督バリー・レビンソンの脚本に対する迷いを感じました。



最低最悪の試合 リーガ第11節 セビージャ3-2マドリー

何だかんだの末にまたリーガを見れるようになったのは慶賀以外の何物でもないんですけど、今日の試合はひどかった。

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いや、私はいつかこんな日が来るんじゃないかと思ってましたよ。とかって言うと「結果論だ」とお叱りを受けそうなのでやめときます。

でもね、やっぱり「攻撃時に守備のことを考えて自重する」という戦術が気に入らなかったんですよ。

確かに、敵陣深く攻め入っていてもサイドバックやボランチがペナルティーエリアからかなり遠いところで相手ボールになったときのことを考えて陣取る、というのは「負けない」ためには必要なことかもしれません。だからこれまでCLも含めて無敗で来れたんでしょうが、ついにその神通力が及ばない事態になってしまいました。

神通力を消し去った一番の要因は「サンチェス・ピスフアン」というスタジアム特有の雰囲気でしょうね。やはり1点を先制して、スタジアムの雰囲気が最悪なときに嵩にかかって攻め込んで2点目、3点目を貪欲に取りに行くべきでした。

なのに、監督の「守備のことを考えて自重する」戦術が裏目に出てしまい、2点目が取れないうちに同点にされ、スタジアムの雰囲気が高揚してきたときに、まだ守備に重きを置くものだから、逆転、ダメ押しとサンチェス・ピスフアンはお祭り騒ぎ。サン・マメス・バリアとかビセンテ・カルデロンとかメスタージャとかカンポ・デ・フットボル・デ・バジェカスとかこのサンチェス・ピスフアンとか、アウェーチームから見れば「殺気立つような」スタジアムでは、ベニテス監督の「理論的戦術」はあまり意味を成さないんじゃないですかね?

嗚呼、前監督のアンチェロッティが懐かしい。守備を少々犠牲にしてもスペクタクルな攻撃を見せてくれましたから。

今季なんか、サイドを深くえぐってクロス! という場面にもゴール前にいるのがロナウド一人ということが多々あります。いてももう一人くらい。もっとガンガン攻めてほしい。それでカウンター食らっても失点しないアグレッシブな守備をすればいい。

何かこう、今季のレアルは「お利口さん」のサッカーをやってる気がします。確かに手堅い。これまで負けてなかった。でも、同時にスコアレスドローも多かった。失点はしないが得点もできない。

もしこれでタイトル取れたとしてもサポーターから不人気で解任は確実でしょう。で、またモウリーニョを呼ぶの? やめて!!! モウリーニョが帰ってきたらまたクラシコが殺伐としたものになってしまう。(だからチェルシーの皆さん、頑張って! つーか今週も負けたのにまだクビにならないのか。不思議)

ともかく、アンチェロッティをなぜクビにしたんだ! と思わせるようなサッカーはしないでください。

ハメスが入ってからはちょっとよかったですよね。それとベンゼマがいないのがやはり大きい。マルセロも。
ベイルはウイングとして使うならいいけど、CFはやはり違うと思いますな。最初からヘセを使ってほしかった。つーか、ロナウドの1トップでいいんじゃないの? ベンゼマがいない間は。

あと、カシージャとケイロル・ナバスの違いもでかすぎるほどでかいんじゃないでしょうか。今日の2点目はナバスなら防げたと思うのは私だけではないはず。



ガス・ヴァン・サント監督『プロミスト・ランド』(『ザ・エージェント』を見てないの?)

ガス・ヴァン・サント監督、マット・デイモン主演による2012年作品『プロミスト・ランド』を見ました。

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うーん、これってどうなんでしょう。

物語は、デイモン演じる田舎育ちでありながら大学を出て大企業に勤めるキャリア志向の男が、シェールガス採掘のために農場を地上げする過程を通して、自分の過ちに気づく、というもの。

ガス・ヴァン・サント監督、いったいどうしたんでしょうか。これは決定的に古いです。

かつて、キャメロン・クロウ監督、トム・クルーズ主演による『ザ・エージェント』という傑作がありました。1996年作品です。

金のことしか頭にないスポーツエージェントが、自分の過ちに気づく物語。『プロミスト・ランド』と同じです。

ですが、決定的に違うのは、『ザ・エージェント』の場合、その物語が最初の10分で終わってしまうということです。自分の過ちに気づいた主人公が自ら会社を辞めて自分の会社を興し、そこで七転八倒しながら選手と心から理解しあえる関係を築く、というのがすべてのあらましです。

『プロミスト・ランド』は『ザ・エージェント』の16年もあとに作られていながら、あの映画があったことなんてまるでなかったかのように作られています。これはいけません。

確かに、田舎育ちの男が田舎育ちであるがゆえに田舎を蔑視している、という視点は新しいしとても重要なものでしょう。

でも、それは主人公のダークサイドとして設定されているだけで、最後に自分の過ちに気づいたとき、田舎蔑視の感情もすべてリセットされて、おしまい。これではあまりにつまらないです。この時代に作る意義を感じません。シェールガスというのは新しい素材なんでしょうけど、昔の石油とか鉄道とかと役割は同じ。

やっぱり『ザ・エージェント』は偉大です。
翻訳家の芝山幹郎さんは、あの映画を評して「紋切型をうっちゃるスゴ技」とおっしゃってましたが、言い得て妙ですね。まさしくその通りです。

逆に、この『プロミスト・ランド』は完全に紋切型の枠に納まってしまっています。とても残念です。



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