聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

続・続『ミッション・インポッシブル』大解剖(最新作『ローグ・ネイション』でわかったトム・クルーズ真の狙い)

①私情で動くスパイたち
②ポーラ・ワグナーとの訣別

に続く第3弾。

第4作『ゴースト・プロトコル』でポーラ・ワグナーと袂を分ったトム・クルーズが再びJ・J・エイブラムスと組んで製作した最新作にして最高傑作『ローグ・ネイション』にはいったいどのような狙いがあったのでしょうか。そして、前作ではクレジットされなかったヴィング・レイムスは登場するのか、するならどういう形で…?


第5作 2015年『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』
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これまで、前作と新作の間にどれだけの時間が経過しているのかまったく示されていませんでしたが、今回だけ違います。
アレック・ボールドウィン演じるCIA長官が「イーサン・ハントのせいでクレムリンが爆破された」と激昂すること、また、新しい長官が決まっていないことなどから、この『ローグ・ネイション』は『ゴースト・プロトコル』の直後の物語であることがわかります。
これまでは一話完結の物語だったのに対し、今回は完全に連続もの。はたしてトムはこの2本で何をやりたかったのでしょうか。

まず、話の前段として、ゴースト・プロトコルが発令され事実上解体したIMFに対し、CIA長官が「CIAとIMFを統合すべきだ」と主張します。IMFはならず者集団だみたいなことも言っていました。そして、国外で1年前から〝シンジケート″という名の組織を追っているイーサンをCIAが追跡中だと息巻く。なるほど、当局は一切関知しないどころか、よけいなことをすると消されてしまうのか。

いや、そんなことより、また主人公が身内から追われるのか。また今回もミッションを忠実に遂行するプロフェッショナルは描かれないのか…いや、でも、前作ではその前に比べて私情の温度を下げていました。今回こそ『スパイ大作戦』のような「プロフェッショナル」がとうとう描かれるのでしょうか?

答えはノーです。そして同時にイエスです。

順を追って見ていきましょう。

イーサンがいきなりシンジケートに捕らえられてしまうのですが、なぜかそのシンジケートの一員である美女イルサ(このレベッカ・ファーガソンという女優さんがあらゆる意味において素晴らしい!)に救われます。はたしてイルサは何者なのか。

アメリカ国内ではCIA長官がイーサンの仲間であるサイモン・ペッグ演じるベンジーを嘘発見器にかけて居所をはかせようとしたり、長官代理的立場のジェレミー・レナー演じるブラントにイーサンたちを裏切れ、みたいなことを言ったりします。

しかし、ブラントは逆にヴィング・レイムス演じるルーサーを呼び、一緒にイーサンを助けようともちかけます。ようやく、シリーズ5本すべてに出演しているヴィング・レイムスの名前が出てきました。

ルーサーはブラントにこう答えます。「イーサンはダチだがおまえは違う」つまり、ブラントの命令だからやるのではなく、イーサンは仲間だからやるのだと。やはり彼も私情で動く人物です。
ベンジーもイーサンのことを友だちだと言っていました。友だちだから俺はお前と一緒に仕事をしたいと言います。どこまでもこのシリーズのスパイたちは『スパイ大作戦』のスパイとは根本から違うのです。

しかし、この「仲間」とか「友だち」という言葉がこのシリーズを貫く重要なキーワードだったのです。

イルサは実は英国MI6のスパイだったことがわかります。そして、シンジケートの親玉ソロモン・レーンもかつてはどこかの国のスパイだったと。手下たちもみな元スパイ。シンジケートとは、祖国に捨てられた用済みスパイの巣窟なのでした。

イルサは、あることがきっかけで自分がMI6長官から使い捨てにされたことを知ります。
イーサンたちもゴースト・プロトコル発令によって祖国政府から捨てられました。いまは身内から追われています。
悪の親玉ソロモン・レーンも祖国に裏切られた元スパイです。

国の都合でスパイとして養成され、用済みになったら簡単に捨てられるスパイという存在の哀しみが浮き彫りになります。

しかし、イーサンはいたって能天気です。捨てられたイルサが嘆くのとは対照的に、IMF再生のために身を粉にして働きます。とっくに祖国から捨てられたのになぜでしょうか? 仮にIMFが復活しても、また「当局は一切関知しない」という過酷なミッションが下るだけなのに。イーサンは自分を使い捨てにする組織を復活させようと目論んでいます。いったいなぜ?

クライマックスは、ソロモン・レーンを防弾ガラスで囲い込んで捕らえる場面ですが、あそこでの「俺たちはIMFだ」というイーサンのセリフに、トム・クルーズがこのシリーズにこめた想い、『スパイ大作戦』を映画化した本当の狙いを知った気がするのです。

思えば、このシリーズは『スパイ大作戦』の主役フェルプス君が組織を裏切ることから始まりました。そのフェルプス君を葬り去り、私情で動くイーサン・ハントとその仲間たちを描いてきました。

1作目では、かつてトムが所属したブラットパックという集団でリーダーだったのに不遇をかこっているエミリオ・エステベスをキャスティングし、彼の死によって物語を起動しました。

2作目では、愛する女のために体を張るイーサンが描かれました。

3作目では、教え子リンジーのためにいつになく取り乱すイーサンが、そして最愛の妻ジュリアのために奔走する彼が描かれました。

4作目では、超高層ビルから落ちそうになったイーサンを、ブラントはじめ仲間たちが必死で助ける場面が描かれました。

5作目では、自分たちを使い捨てにする組織を復活させようと目論むイーサン・ハントが描かれています。仲間たちと一致団結して。

結局のところ、『スパイ大作戦』のようなプロフェッショナルが描かれていない、のではなかった。この『ミッション:インポッシブル』シリーズは、ほぼ20年の歳月をかけた『スパイ大作戦』に対する絶妙にして壮大な「批評」だったのです。

テレビシリーズでは、「当局は一切関知しない」と決め込む組織にまったく不平不満を言わないスパイたちの活躍が描かれました。それがプロフェッショナルとしてのあるべき姿だと多くの人は思いました。

しかし、トム・クルーズはそれは違うと思った。スパイも人間である以上、感情を捨て去ることなどできない。人間味のあるスパイを描こうじゃないか。でもプロフェッショナル魂だけは消してはなるまい。

だから今回、イーサン・ハントが自分に課したミッションが「IMF復活」だったのでしょう。自分たちを使い捨てにする組織をあえて復活させること、それは組織の命令に唯々諾々と従うテレビ版のスパイたちより、もっとプロフェッショナル魂にあふれた行為ではないでしょうか。

『スパイ大作戦』にはなかったスパイたちの人間味を色濃く打ち出しながら、より大きく高潔なプロフェッショナル魂を描く。

それがトム・クルーズの真の狙いだったのだと思います。

次はいかなるミッションが下るのか、はたまたこのシリーズは終わりになるのか、J・J・エイブラムスとタッグを解消して新しいプロデューサーと組み、『ミッション:インポッシブル』はさらなる転回をしていくのでしょうか。

トム・クルーズの次なる狙いはまだまだまったくわかりません。



続『ミッション:インポッシブル』大解剖! (ポーラ・ワグナーとの訣別)

①私情で動くスパイたちに続く第2弾です。

第4作 2011年『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』C111121064831_m
美しくも恐ろしい女暗殺者サビーヌ・モローの登場で幕を開けるこの映画で、イーサン・ハントはまず、なぜか服役していたロシアの刑務所を仲間の手引きによって脱獄し、さらにこのシリーズで最も『スパイ大作戦』らしいミッションを受けます。「クレムリンへ潜入して核ミサイルの発射コードを盗め」と。
クレムリンという、第1作のCIA本部に勝るとも劣らない要塞への潜入。そして核ミサイルの発射コードというハイ・コンセプト。

ここには何の私怨も私情もありません。その象徴が「なぜ俺を脱獄させたのか」とイーサンに問われたポーラ・パットン演じる同僚ジェーンが「そういうミッションだったから」と答える場面です。

おおおお! 
ミッションが発令されたからミッションを遂行する。まさしくテレビ版『スパイ大作戦』がそういう物語でした。仮に失敗しても当局は一切関知しない、そんな無慈悲な組織であってもミッションが発令された以上プロフェッショナルとして職務を忠実に遂行する。これこれ、これですよ!!

と思ったら、事情がちょっと変わってくるんですね。

クレムリン潜入にまんまと成功するイーサンたちでしたが、肝心の核ミサイル発射コードはヘンドリクスという男に奪われ、しかもヘンドリクスが逃亡のためにクレムリンを爆破。イーサンはその犯人として捕らえられます。すぐ逃げるイーサンにIMF長官が来て、「ゴースト・プロトコル」が発令されたと説明します。

ゴースト・プロトコルとは、政府とIMFを切り離す、つまりIMF消滅と同義。つまり本当に「当局は一切関知しない」という非情なものでした。長官は「ここで私を襲って逃げ、勝手にヘンドリクスから発射コードを奪い返すかどうかは君の自由だ」と温情を示してくれますが、その長官も無残に撃たれてしまいます。

当然イーサンは仲間たちとともに発射コード奪還に向かいます。しかし、これって自分が汚名を着せられたことへの意趣返しであって、やはり私怨なのですね。このシリーズは「私情ぬきの純粋なミッション」がないなぁ、とちょっとがっかりするんです。

しかしながら、これまでは愛する人を救うためとか、仲間が殺されたからとか、裏切り者は許せない、といった他者のための行動だったのに対し、今回は自分が着せられた汚名を返上するためというのがちょっと違います。それに第3作のようにイーサンはいっさい取り乱しません。だから私情で動くスパイという匂いが薄まっているのも事実。

さらに、この物語のパターンは、ヒッチコックがよくやっていた巻き込まれ型サスペンスですね。警察に追われながら真犯人を追うという。前作でラビット・フットというマクガフィンを使い、今回は物語の枠組みがヒッチコック。ヒッチコックは何よりも登場人物のエモーションを持続させることを大事にしたフィルムメイカーでした。トム・クルーズもそれに倣ってミッションに私情を絡めることで映画を盛り上げようとしているのでしょうか。

しかし、ひとつ気になることがあります。イーサンの婚約者ジュリアの身に不幸が起こったらしい。でもそのことは今回のミッションとは関係ない。

1作目から、私情=主人公のエモーションをどんどん激しくしてきたこのシリーズですが、ここにきて、なぜか私情の度合いが前作に比べてかなり下がるのです。

それはなぜかと考えて、ある仮説にたどり着きました。

1作目から共通する固有名詞でこの4作目にない名前は? もちろんトム・クルーズ以外で。

そう、トムとタッグを組んでいたプロデューサーのポーラ・ワグナーです。そして、イーサンのよき仲間ルーサーを演じるヴィング・レイムスです。

ポーラ・ワグナーは本作のあとでも『アウトロー』で組んでますから別に仲違いしたわけではなさそうです。しかし、本作と現在公開中の『ローグ・ネイション』と続けて組んでないこと、また第3作の監督J・J・エイブラムスとプロデューサーとして最新作まで組んでいることから考えると、トムがポーラ・ワグナーよりJ・J・エイブラムスのほうがこのシリーズに適した相方だと判断したんじゃないか、と思われます。

ただ、3作目までと4作目を比べると、ミッションに絡む私情が極端に減ってるんですよね。
それは、最愛の妻ジュリアの登場をラストシーンだけに限定したことにも顕著です。イーサンは映画が始まる前、ジュリアは死んだと偽装するために何人かの人間を死に至らしめ、そのために刑務所に入っていたことが明らかになります。ジュリアへの愛のためにイーサンは遠くから見つめるだけの関係を選びます。それは激情ともいえる私情なのですが、ミッションとはまったく関係ないところでの激情なのだから『スパイ大作戦』の「私情をはさまないプロフェッショナル」とも相反するわけじゃないし、逆に『スパイ大作戦』にエモーショナルなサブプロットが加わることによって『スパイ大作戦』以上の『スパイ大作戦』が展開されていました。

トム・クルーズがポーラ・ワグナーとのコンビを解消したのは、ここにあると私は見ます。3作目までは激情型スパイを描くことで意見の一致を見ていた二人が、4作目を作るにあたり、さらなる主人公の激情を描くことで盛り上げようと考えたポーラ・ワグナーに対して、トムは内に秘めた「ある狙い」があって、コンビを解消したんじゃないでしょうか。そして、J・J・エイブラムスはその狙いに共鳴したんじゃないか。

さて、もう一人、この4作目で初めてクレジットから外されたヴィング・レイムスについては次回の記事で。

続き
③最新作『ローグ・ネイション』でわかったトム・クルーズ真の狙い





『ミッション:インポッシブル』大解剖!(私情で動くスパイたち)

この夏の大傑作『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』の感想を綴るにあたり、まずは第1作から振り返る必要があるなと。
すると、意外な事実、このシリーズに隠された「秘密」に突き当たりました。


第1作 1996年『ミッション:インポッシブル』MI_image_main__V148027619_

トム・クルーズが設立したプロダクションの記念すべき第1作に『スパイ大作戦』の映画版リメイクをもってくるというのは、トムならではの炯眼だったのか、それともハリウッドの宿痾となってしまった企画不足の末路だったのでしょうか。

物語のきっかけは、テレビ版の主役だったフェルプス君が殺され、トムが所属するIMF=インポッシブル・ミッション・フォースの中にどうも裏切り者がいるらしいことがわかる、そして何とその裏切り者はトム扮するイーサン・ハントではないかとの嫌疑がかかります。イーサンは仲間を殺した同僚たちのために、そして自分への嫌疑を晴らすために真犯人探しに奔走します。

だから「ミッション」といっても上からの命令ではなく、ほとんど「私怨」で動いているのですね。『スパイ大作戦』はスパイたちの私的感情などないかのごとく命令を忠実に遂行していくプロフェッショナルの姿が描かれていましたが、この映画化第1作で早くもトム・クルーズたち製作陣にテレビ版への敬意など皆無であることが露呈してしまっていると思いました。

しかも、実はフェルプス君は実は生きていて、彼こそが裏切り者だったという、テレビ版のファンが激怒する結末を迎えるというのがおおよそのあらまし。

フェルプス君の言い分としては「冷戦は終わった。もう俺たちスパイの時代じゃない」とのことですが、スパイとして自分の半生を犠牲にしてきたイーサンにはそれが許せない。

どこまでもこの映画は「私情」で動いているのです。

では、第2作はどのような物語なのでしょうか。


第2作 2000年『M:I-2』
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物語は、キメラと呼ばれる細菌兵器を悪人どもから奪回せよ、との指令を受けたイーサン・ハントたちが見事にミッション・コンプリート! そうです。2作目で初めてまともなミッションが下り、それを遂行するプロフェッショナルの姿が描かれます。

しかしながら、タンディ・ニュートン演じる女泥棒と恋に落ちたイーサンは、彼女がキメラを奪われないために自分に注射したため、彼女を救うためにミッションを成就させるのです。そうです。またしても「私情」で物語が動いているのです。これでは真のプロフェッショナルではありません。

さて、では、第3作では真のプロフェッショナルが描かれたのでしょうか?


第3作 2006年『M:I-Ⅲ』
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イーサン・ハントがフィリップ・シーモア・ホフマン扮する悪役デイヴィアンに、おまえの頭に爆弾を埋めた、〝ラビット・フット″を返せ、でないとこの女を殺す、と脅迫されるところから始まって、フラッシュバック形式でその女性と婚約している平和な毎日が描写されます。
でも、このフラッシュバック形式が妥当なものだったのかどうか。最初に張り手をくらわす手法は珍しくありませんが、普通に穏やかな日常を送っているイーサンのもとにかつての上司がやってくる、という出だしでよかったのでは?

フィアンセを殺されそうになったイーサン、というところ場面から始まるこの第3作は、ファーストシーンからまたも「私情」で物語が動くことを示唆しています。決してテレビ版のような冷徹なプロフェッショナルではなく、人間的感情にあふれたスパイを描くのだとトム・クルーズは強く考えているようです。

イーサンはかつての教え子リンジーがデイヴィアンに捕らえられている、奪還せよとの指令を受けてベルリンへ飛びます。で、奪還失敗。リンジーは頭に埋め込まれた爆弾のために命を落とし、イーサンは上層部から叱責されます。

イーサンは、リンジーへの思いを胸に、上司マスグレイブの計らいでデイヴィアンがもつラビット・フットというお宝を奪い返すミッションを遂行します。ミッションは下りますが、それは形だけのもので、ほとんどリンジーを殺されたことへの復讐です。デイヴィアンをもう少しでヘリから突き落としてしまいそうになるほどイーサンは我を忘れてしまっていました。このシリーズ中、主人公イーサンが最も強く私情を見せたのが本作です。

バチカンに乗りこんだイーサンは、デイヴィアンを誘拐、ラビット・フットを奪うことに成功するも逆にすべてを奪い返され、ジュリアを人質に捕られます。

ここで何と、上司マスグレイブがデイヴィアンと手を組んでいた裏切り者だったことが判明。第1作と同じです。同じだからダメなのではなく、私怨に油を注げば注ぐほど本家『スパイ大作戦』から乖離していってしまい、なぜトムはあのテレビシリーズを映画化しようと思ったのかますますわからなくなるのです。

確かに、J・J・エイブラムスによるこの3作目はめっぽう面白い。終盤のトム・クルーズの全力疾走の場面など「映画を見る快感」が画面から迸っています。

しかし、エモーショナルな傑作であればあるほど、なぜトム・クルーズは『スパイ大作戦』を映画化しようとしたのかがわからない。テレビシリーズと同じにしろとは言いません。でも、エモーショナルなスパイ・アクション映画を作りたいのなら『スパイ大作戦』のリメイクではなくオリジナルで作ればいいじゃないですか。主役だってフェルプス君を最初に死なせて新しい主役イーサンを作ってるわけだし。

トムはひょっとしてラロ・シフリンのあのテーマ曲がほしかっただけなのではないか…? との疑念が渦巻くしかないのです。

長くなりました。続く『ゴースト・プロトコル』と最新作にして最高傑作『ローグ・ネイション』で明らかになる「トム・クルーズの真の狙い」についてはまた明日にでも。

続き
②ポーラ・ワグナーとの訣別
③最新作『ローグ・ネイション』でわかったトム・クルーズ真の狙い




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