聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

問題作『ゆとりですがなにか』の問題とは何か

今クール最大の期待作だったクドカン最新作『ゆとりですがなにか』。

すでに半分以上の第6話まで見たというのに面白いのか面白くないのかいまだにわからないんですよね。

160210_yutori_01

主人公の岡田将生やその友だち(?)の松坂桃李や柳楽優弥はすべて29歳のいわゆる「ゆとり第一世代」で、見る前は彼らともっと上の世代との軋轢を描いているのかな、と思ってたんです。

ところが、実際は、岡田将生たちゆとり第一世代ともっと下のゆとり第二世代、第三世代との葛藤を描いてるんですね。

これが驚きでしたが、はたしてこれでいいんだろうか、という思いがずっと拭えませんで…。

確かに私の予想通りにゆとり世代ともっと上の世代との対立葛藤を描くとしたらものすごくありきたりなドラマになってたような気もしますが、「会社休む連絡をLINEですませるゆとり世代ってわからない」と嘆く大人たちにとってはそういうドラマこそ見たかったんじゃないか、とかって思うんですけど、でもそれじゃあただのお説教になっちゃうのかな、とも思うし。

松坂桃李が教育実習生と恋に落ちたり、その松坂が岡田将生の彼女・安藤サクラと友達以上恋人未満の関係になって岡田将生が悶絶したり、岡田将生の妹・島崎遥香(しかしなぜ役名が「ゆとり」なの?)が就活に嫌気が差して柳楽優弥が経営するガールズバーで働き始め、しかも子持ちとは知らずに柳楽とナニする関係になってまた岡田将生が悶絶したり、面白いエピソードに事欠かない。

いや、そもそも、このドラマの発端は岡田将生がゆとり第二世代か第三世代の後輩を叱っただけでパワハラだと訴えられるというところにあって、主人公・岡田将生を困らせる手練手管には驚嘆するんですが、あのパワハラの一件はどうなったの? というのが正直なところでして。

いや、そういう見方をする私が古いのかな。
ある問題があって、その問題をどう対処していくか、そこに主人公と環境との軋轢を見たいという見方。それが古いのか。それとも単に描写不足なだけなのか。



imagesH2BVBZ52

先日、たまたま『したくなるテレビ』という番組を見ました。(↑この画像は何の関係もありません。しかし、ラップデビューするってほんとか、小西真奈美!?!?)

さて、『したくなるテレビ』というのは、「ぶりっ子」とか神田うのやダレノガレ明美という「嫌われ芸能人」に「ゆとり世代」「埼玉」などほとんどイメージのみで嫌われてる人たちを好きになってもらおう、という趣旨の番組で、面白いというか暇つぶしにはもってこいでしたが、それはともかく、この中でゆとり世代を扱ったコーナーが最も面白く、何でも尾木ママの説によれば「ゆとり世代は既成概念に囚われない発想の名人」らしいんですね。

実際、学校を卒業すると同時に起業して大成功している女性二人組がいるかと思えば、数学オリンピックで銀メダル(日本史上最高成績)とか、27歳にして人事のエキスパートをやってる女性がいたり、私と同じぐらいの世代の上司が、「彼らの発想力でうちの会社はもってる」と言い切ったり、見てるだけでゆとり世代ってすごいんだなぁ、と視聴者に思わせる内容になってるんですが、このVTRを見た劇団ひとりのコメントが秀逸でした。

「ゆとり世代ってものすごい『格差世代』なんじゃない? 頑張れる人はものすごく上のほうに行っちゃうけど、それができない人はどんどん落ちていく一方で、中間がなくてものすごい上のほうとものすごい下のほうに分かれちゃってる気がする」

と、さすが劇団ひとり。鋭い意見。

『ゆとりですがなにか』に欠けているのは、結局ゆとり世代って何なのよ? その実態ってどういうもんよ? という、ゆとり世代の内実に迫る視点ではないでしょうか。あれでは、ただ「ゆとり世代の人たちの右往左往」が描かれているだけで、それはそれで面白いんだけど、テーマの掘り下げに失敗してる感が否めないんです。

第6話では、松坂桃李がクラスの子どもたちに「ゆとり世代とは何か」と教え諭す場面が印象的でしたが、あれはゆとり世代本人が語るゆとり世代論であって、私が見たいのはもっと客観視されたゆとり世代論というかドラマなんですがね。

という私の見方が古いんですかね? んー、もうわからなくなってきた。

とりあえず、次の第7話はパワハラの一件がようやくヒートアップしそうで楽しみです。でも、ゆとり世代に関係があるエピソードなのかが心配ですが。



続きの記事
怒涛の第8話を振り返って
第9話 島崎遥香の役名を「ゆとり」にしたクドカンの熱き想い
総括「2010年代を代表する大傑作!」



コパ・デル・レイ決勝 バルサ2-0セビージャ(セビージャの慢心、バルサの意地)

イタリアカップやドイツカップの結果が出るなか、今日はスペイン国王杯。

リーガを制したバルサと、ELを制したセビージャ。どちらが勝っても2冠ですが、冷や汗ものでリーガ優勝を決めたバルサより、リバプールに逆転勝ちしてEL3連覇したセビージャに分があると思ってました。

実際、キックオフ直後はバルサに攻め込まれてましたけど、徐々に激しいプレスからボール奪取の場面が多くなってバルサに自由を与えてませんでしたよね。特にメッシを前半は完全に抑え込んでいた印象があります。イニエスタだけは全体を通して抑えられてませんでしたが。

37分にマスチェラーノが決定的チャンスを潰したということで一発退場。
しかも、あろうことか、エース、ルイス・スアレスが57分に怪我でラフィーニャと交代。

バルサにとっては痛すぎるほど痛い2つの事故で、こりゃもうセビージャの勝ちだろうとマドリディスタの私はワクワクしました。

ところが、セビージャの選手もそう思ってしまったらしく、それ以降、奪ってからの前への推進力がなくなってしまいました。スアレスもいないし相手は一人少ないし、そのうち先制点が決まって楽に勝てるだろう、みたいな緩い戦いぶり。

セビージャの敗因はそこに尽きると思います。

逆にバルサは緊急事態に加え、主審の判定がセビージャ寄りだと不満を募らせます。私の目には別にどちら寄りでもないと思いましたが、バルサの選手たちにはそう見えた。で、燃えたんですね。いくら主審がセビージャに贔屓してもスコアで上回ったら優勝だ! と。

バルサの勝因はそこでしょう。

結局、後半終了間際にバネガがこれまたネイマールの決定的チャンスを潰したとの判定で一発退場に。流れを引き寄せたバルサは延長前半に意地の一発で先制。浮足立ったセビージャもチャンスを何度か作りましたが、時すでに遅し。流れは完全にバルサでした。

最後は、メッシからの素晴らしいスルーパスからネイマールがさすがの一撃でジ・エンド。


MR_Score_getty12-560x373

マドリディスタの私ですら今日のバルサの勝利には熱い思いを禁じえませんでした。

やはり、サッカーは気持ちでやるものだな、と。勝ったと思ったら負け、負けるかもと思ってるほうが勝つ。

不思議なものです。不思議ですけど、当然といえば当然なのかも。



3D映画がいつか消えてなくなると思う理由

2009年の『アバター』がきっかけで第二次か第三次かよく知りませんが、3D映画がブームになりましたよね。


2d189a39



以来、ずっと3D映画が公開され続けていますが、私はもともと少しも好きじゃないし、いつかは廃れると思っています。

好きじゃない理由としては、下の画像が如実に語ってくれます。



img_0

アカデミー美術賞を受賞した『アパートの鍵貸します』での、主人公ジャック・レモンが働くオフィスの風景。実際はあんな向こうまでデスクが並んでるわけじゃないのに、そういうふうに見えるようセットがデザインされてるんですよね。(レンズにも何らかの工夫があるのかもしれません)

このカットに顕著なように、映画というのは二次元ですけど、二次元でありながら三次元のように見せる技術で発展してきたメディアなのに、なぜわざわざ特別なメガネをかけてほんとに三次元に見せる必要があるのか、と保守的で古典的映画が大好きな私は3D映画の興隆がとても厭だったのです。

以上のようなことをある人に言ったら、

「でも、サイレントからトーキーになったり、白黒からカラーになったり、映画は技術発展してきたわけで、そのときにも君みたいに『映画に音があるなんて』とか『映画に色があるなんて』と厭な気がした人はたくさんいただろうけど、それは不可避の発展だった。2Dから3Dへの移行もそれと同じじゃないのか」

と言われたんです。

そのときは、あ、なるほど、自分は浅薄だった、と思ったりもしたんですが、やはり違うと思うようになりました。

だって、サイレントからトーキー、白黒からカラーへの移行というのは、「できるだけ現実世界と同じ世界を描きたい」という「芸術的欲求」から生み出されたものじゃないですか。

でも、2Dから3Dへの移行というのは、テレビジョンの台頭で斜陽になり始めた映画界が復権の糸口にするためのものでしょう? 昔はテレビ、いまはDVD。どちらにしても映画館に来る人の減少が最大の理由で、それに対抗するために、という「商売人的欲求」が基礎になっています。

そういうのって長続きしないと思うんです。

しかし、現実世界は3次元なのだから3Dはトーキーやカラーと同じ「できるだけ現実世界と同じ世界を描きたい」という芸術的欲求もあるんじゃないの? という考え方もあるでしょう。

しかしながら、それなら肉眼だけで立体に見えないと意味がありません。わざわざ3D眼鏡をかけないと立体に見えないというのは「現実世界の表現」ない。

実際、テレビジョンの発明・普及した50年代から60年代だって続かなかったし、ここ数年の流れでも、ひと頃に比べると3D映画の興行収入って減ってきてるらしいですし。みんなあれが「現実世界の表現」とは思ってないんですよ。料金も高いから「結局商売でしょ」と白け始めたのではないか。

最近は3Dテレビなども出始めたため、映画では4Dとかいろいろあるみたいですが、結局「商売人的欲求」が底流している以上、長続きしないと思います。

やっぱり『アパートの鍵貸します』のセットデザインみたいに「芸術的欲求」こそが人の心を打つと思うのです。



ギャラリー
  • 『グリーンブック』(いったい俺は何者なのか!)
  • 『グリーンブック』(いったい俺は何者なのか!)
  • 『スパイダーマン:スパイダーバース』(垂直ヴィジュアルの妙味)
  • 『スパイダーマン:スパイダーバース』(垂直ヴィジュアルの妙味)
  • 『スパイダーマン:スパイダーバース』(垂直ヴィジュアルの妙味)
  • 『スパイダーマン:スパイダーバース』(垂直ヴィジュアルの妙味)
最新コメント
お問い合わせ
お問い合わせは、こちらまでお願いします。
読者登録
LINE読者登録QRコード