聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

『王様のレストラン』大解剖⑤(アンチヒーロー千石武)



『王様のレストラン』大解剖シリーズ。

①「ヒーロー」は千石さんではない!?
②ヒーローはオーナー禄郎である!
③シェフしずかはヒーローでないのか?
④ディレクトール範朝から千石さんへと至る道

に続く第5弾です。

ディレクトール範朝がアンチヒーローであることは誰の目にも明らかですが、彼もまたプチ・ヒーローとして(未来の)ベル・エキップを盛り立てていってくれる存在です。

その範朝と同じくらい、いやそれ以上のアンチヒーローがいます。それが千石さんに他なりません。

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彼は、ベル・エキップを一流の店にするために雇われました。事実、千石さんの知識と経験で数々の困難を乗り切り、店は往時の活気を取り戻しました。

しかし、彼には驕りがありました。「自分がこの店を支配している」という驕りが。

先日の第10話では、先代オーナーシェフが傍若無人な人間だったために店を辞めた顛末が明かされます。

「彼は自分の意に沿わない人間を次々にクビにしていった。それを戒めるのは私だけでした。それで結局私も辞める羽目に。店を去るとき私は言いました。たとえ一流と呼ばれる店でも、あなたに人間としての心のやさしさがないかぎりこの店は三流以下だと」

そして、「いまの私はあのときの彼だ」と言って自嘲気味に笑います。

パティシエ稲毛をクビにするかしないかでオーナー禄郎ともめた挙句に、千石さんは自分がかつてのオーナーシェフと同じアンチヒーローに堕落していたことを思い知らされるのです。

でもそれは第10話で突然そうなったのではありません。最初からそうだったのです。

第1話で、禄郎が一緒にこの店を立て直しましょうと頼まれたとき、「この店はフレンチレストランの格好をした、薄汚れた学生食堂です」と言い放ちます。確かにその通りでしょう。しかし、それがかつてともにフランスへ留学し、一緒に働いていた親友の店に対する言葉と考えると合点がいきません。

千石さんが働いていたときにこの店にいた人間は範朝だけです。その範朝がディレクトールをやっている。彼が総支配人なら薄汚れた学生食堂に落ちぶれるのも当然だろう、と千石さんならずとも思うところですが、先代オーナーシェフにはもう一人息子がおり、その息子に遺言が託された。「千石さんを頼るといい」と記されていました。千石さんはそれを目にしてもなお禄郎に「あなたも早くこの店から手を引いたほうがいい」と言います。

先代オーナーを戒めていたときの千石さんは確かに「ヒーロー」だったでしょう。しかし、辞めざるをえなくなったことで恨みつらみが重なり、さらに往年の栄光を知らないスタッフばかりになったベル・エキップに対して「自分のほうがよっぽどフレンチのことを知っている。こんな店を立て直すくらい簡単だ」という驕りが芽生えたことは想像に難くありません。

第2話で、「いまうちは火の車でね、よけいな人を雇う余裕がない」という範朝に対し、千石さんは「心配いりません。いまにこの店は毎日お客でいっぱいになります。根拠があります。私が来たからです」という場面がありました。あそこは千石さんのあまりの自信過剰な態度に何度見ても爆笑してしまうんですが、このドラマをコメディではなく「神話」として捉えた場合、あそこは千石武という男が暗黒面に堕ちていることを証しする何よりの場面です。

実際、千石さんはその言葉通りベル・エキップを立て直していく。一人一人にいろんなことを教えて店を盛り立てていく。その姿はヒーローのように見えます。

しかしながら、第10話で明らかになったのは、そして彼自身が自覚するに至ったのは、「他のみんなを見下していた」という冷厳な事実でした。先代オーナーと同じ道をたどってしまった千石さんは店を辞めます。

先代オーナーと千石さん
千石さんと現オーナー禄郎

は同じ関係です。アンチヒーローとヒーロー。

「ヒーローズ・ジャーニー=英雄の旅」は、ヒーローからアンチヒーローへ、そしてそこからまたヒーローへ、という循環する旅のことです。

ここで疑問が起こります。私の仮説「禄郎こそがヒーロー」って合ってるの???


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第3話で誰の首も切らずに赤字を解消する手段を見つけた禄郎は、他にも数々の難事件を解決します。

第6話では、直接的に問題を解決するのはメートル梶原だとしても、他のみんなが「嘘をついた本人が悪い」と少しも協力しようと思ってないところを、禄郎が「困ったときはお互い様でしょ」と全員に協力するよう呼びかけます。オーナーの言うことならしょうがない、とみんなは嫌々協力することになるんですが、禄郎の呼びかけによって従業員一同が一丸になり、後半のさらなる難事件を解決することになります。

千石さんに対する従業員一同のストライキが描かれる第4話でも、直接的に問題を解決するのは最初に手を貸したシェフしずかでしょうが、それだけではまだ厨房の人間が持ち場に戻るだけ。梶原と彼に操られるコミ和田はあくまでも千石が謝ってくるまではストライキを押し通すぞ、と意固地になっていました。
それを解決するのが禄郎です。「嘘でいいですから梶原さんたちに頭下げてもらえませんか」と千石さんにお願いする。実際に頭を下げに行くのは千石さんですが、後ろで糸を引いているのは禄郎です。

第9話では、普通ならクビにすべき範朝を許すことで彼を暗黒面から引き戻します。第10話では、暗黒面に堕ちていた千石さんにその自覚を促す。

しずかのセリフ「一流っていってもいろいろあると思うんだよね。料理が一流とか店の造りが一流とか。働いてる人間が一流ってのもあるんじゃないかな。そういう意味ではこの店はもうとっくに一流だと思う」が決定打になるとはいえ、「働いている人間を一流にした」のは無類のお人よしたる禄郎であることは衆目の一致するところでしょう。

ベル・エキップを一流の店にしたのは千石さんではなく、禄郎なのです。

その証拠に最終回の第11話では…これは来週を見てからですね。

第7話が異質だと以前言ったのは、禄郎が問題を解決してないからなんですよね。淀んだディナーを解決したのは直接的にはバルマン政子ですが、後ろで糸を引いていたのは千石さん。アンチヒーローがあのエピソードではヒーローだから何か異質な感じがするんです。

いや、そこにこそ『王様のレストラン』の面白さの秘密が隠されている気がしてきました。

それは、第10話での畠山が稲毛に言うセリフ「俺はお前のこと嫌いだけど、好きだ!」ということにも通じることなのかも…。

「私が来たからです」というセリフがコメディとしては爆笑ものだけど、神話としては深刻なものだということとも通じるような気が…。

そこから「主人公は誰か」という最大の問題があぶりだされてくる気がします。

すべては来週の最終回を見直してからですね。

続き
⑥最低だが素晴らしい!
番外編 オーディオコメンタリーが面白い!




ポーランド・ジャズを初めて聴く(アンドレィ・ヤゴジンスキ)

歩いて行ける距離のところにNHK神戸放送局がありまして、そこで毎週金曜日にジャズライブが行われています。15分ほど生放送されるんですが、先日久しぶりに行ってまいりましてな。

バッチリ映ってきましたぜ。パチパチパチパチ。

東京の友人にちょっと用があってメールしたらばなぜだったかジャズライブを聴きに行くという話になって、その人も私もキース・ジャレットが大好きなので「やっぱり『ケルン・コンサート』はすごすぎですよね」みたいなことを言ったことあるんですが、キースとは比べ物にならないくらい無名の人たちのライブでしたが、生のライブはやはり腹にズンズン来るんでやっぱり家のCDでキースやマイルスを聴くのもいいけど、たまにはライブを聴かなくちゃね、みたいなことをメールで言ってたらですね、その人はつい最近、渋谷のアップリンクというところでオラシオさんなる人の話を聞いてポーランド・ジャズにすごく興味をもち、最近youtubeでよく聴いてるなんて言うわけです。

オラシオさん?

何か聞いたことあるなと思って調べてみたら、去年までアメブロやってたときに読者登録させていただいていた方じゃないですか。ツイッターやってることが判明したんで速攻でフォローいたしました。

で、私もyoutubeでいろいろポーランドのジャズを聴いてみたんです。ショパンの国ということでピアノがすごいんだと友人が言ってたのでピアニストのものばかり。

そしたら、ほんといいものばかりなので、youtubeで聴くんじゃなくてCDで普通に聴きたいなぁ、と思ってヤフオクで入手しました。740円。掘り出し物。アンドレィ・ヤゴジンスキというピアニストのトリオによる『ディープ・カット』というアルバムです。


(CDの内容とはちょっと違いますが)

騙されたと思って一度聴いてみてくださいよ。めちゃいいですから。ほんとキースが弾いてると言われて聴いたらそう聴こえちゃうほど透明感に溢れた繊細で美しい音色なんです。

他にも、スワヴェク・ヤスクウケとかいろいろすごい人たちがいるようなので、これから貪欲にポーランド・ジャズを聴いていきたいと思っちょります。

音楽の趣味の幅が広がる。でも、ちょっと高いのが難ですね。今回は偶然安かったけど(溜まったポイント吐き出したしね)他は安くて2000円なんてのも珍しくないですから。

まぁ、ちょっとずつ聴いていきましょう。



「いつか本を書きたい」と言う人の心性について

前の職場で一緒に働いていた人が、最終日に口走った言葉。

「あたし、いつか本を書きたいと思ってるんです」

他の人たちは、

「すごいねぇ」
「実現するといいねぇ」
「あなたなら書けるよ」

と言ってましたが、私は少しもそういう気にならなかった。なぜなら、その人に「何か書いてるのか」と問うと、「これから」と能天気に答えたからです。

こと「書く」ということに関して私はストイックでかつ厳しいのです。

「いつか本を書きたい」

いつぞや高校の頃の友人もまったく同じことを言ってましたっけ。そのときの私は少しも文章など書けない人間だったから、それこそ前職場の他の人たち同様「へぇ、すごい」と思ったもんですが、いま思えば「そりゃダメだろう」と。

いや、本を書きたい、出版したい、何か形の残るものを死ぬ前に作りたい、その気持ちはわかります。私だってちょっと前まで同じような夢をもってましたから。

でもね、「いつか本を書きたいんです」と本当に思っているのなら、もうすでに書いてますよ。書き終わってなくても書き始めてますよ。どうしようもない内容かもしれないけど、下手糞で読むに堪えない代物かもしれないけど、本当に書きたいなら「書きたい」と口にする前に書いているはず。

文章にかぎらず、何かを作る、というのは、体の内側から湧き出てくる自分でも抑えることのできない強い衝動が発端であって、書きたいなぁ、書けたらいいなぁ、という憧れは結局憧れで終わってしまうのです。

それに、本当に書きたいと思っているのに一行も書けてないなら、「いつか書きたい」なんて恥ずかしくて言えないはず。

何かを作るというのは、「作りたいのに作れない恥ずかしさ」と「作れないけどやっぱり作りたい欲望」とのせめぎ合いなのです。

「いつか本を書きたいと思ってるんです」といった人は、そういうせめぎ合い、胸の内の葛藤が何もないのでしょう。

語彙の多寡、修辞の巧拙、文体の美醜が文章の決め手ではありません。私はこういうことを言いたいのだ、あなたにこういうことを伝えたいのだ、という熱い思いです。

小学校の卒業文集。ある先生が拙い字で熱い文章を書いていました。私は何度も読みました。何度も何度も読みました。感動しました。俺はおまえたちにこういう想いを伝えたいんだ、どうか聴いてほしい、という「熱意」を感じたんです。

文章に「上手/下手」はありません。

あるのは、「熱い/熱くない」だけです。


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