聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

『スポットライト』(アメリカ人が作ったアメリカ人のための映画)

(ネタバレあり)
先日のアカデミー賞で見事最優秀作品賞に輝いた『スポットライト 世紀のスクープ』。神父の性的虐待を告発する新聞記者たちの物語なんですが、これが実に「アメリカ映画らしいアメリカ映画」でした。


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役者たちの演技合戦につい見とれてしまうほど演技のアンサンブルが素晴らしいんですが、肝腎の内容については、『L.A.コンフィデンシャル』がずっと頭の片隅にありましたね。




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あの映画では、複雑に絡まり合う問題の根源のすべてを、ジェームズ・クロムウェル演じる警察幹部の「個人悪」に帰してしまうという、これまた「アメリカ映画らしいアメリカ映画」でした。

そうです。アメリカ映画らしい、というのは、ここではいい意味で使っていません。

『スポットライト』でも、問題は複雑です。

カトリック教会の神父たちが子どもたちに性的虐待をしている。なぜ明るみに出ないか。教会は証拠を封印することができるほど法律で守られているという事実もあれば、バチカンが守っている、というセリフもあります。

そして極めつけは、
「なぜ性的虐待が起こるか。カトリックの神父は妻帯できず、禁欲生活を強いられるからだ」とのセリフです。

レイプや痴漢などの性的犯罪は法的には「性犯罪」にカテゴライズされるんでしょうが、私個人の見解では、あれは「弱い者いじめ」です。
だから、禁欲生活を強いられているから性的虐待するという理路が私には理解できません。むしろ教会が絶大な権力をもっているから弱い者いじめするんじゃないかと思うんですが、その是非はこの際どうでもいい。

主人公たち新聞記者が「禁欲生活が原因」とはっきり思っているなら、なぜカトリックでは妻帯が禁じられているのか、というところまで掘り下げないのか。でないと「歴史は繰り返す」だけに終わってしまいます。

神が人間を造ったのではなく、人間が神を造った、人間が神という存在を必要としたわけですが、その事実はどの宗教でも伏せられ、「人間が神を創造した」というフィクションが信じられています。おそらくそういうフィクションなしに生きられないのが人間という哀しい存在だと思うんですが、神は人間たる聖職者に対してなぜ妻帯してはならないと命令しているのか。つまりは、聖職者は妻帯禁止というフィクションがなぜ人間には必要なのか。そこへ切り込まないといけないはずなのに、百何十人かの「悪い神父たち」が告発されて終わり。

しかも、すべて知りながら隠蔽し続けた枢機卿は海外へ飛ばされるもそこでカトリック最高位の職務に就いたと字幕で説明された日には「それでいいの? ダメでしょ!」と叫びたくなりました。複雑な問題をあまりに単純化しすぎです。

宗教とは何か、神とは何か、神を必要とする人間とは何か、となるとあまりに問題が難しいというのはわかります。でも、やっぱり一番の黒幕バチカンまで切り込んでほしかった。

ところで、この映画では、あと少しでスクープ記事を発表できるぞ! というところで、あの9.11が起こり、すべての記者がテロの取材に奔走させられます。そうか、9.11の余波はこんなところまで…と感慨深いものがありました。(考えてみれば当たり前ですけど)


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しかし、9.11というのは、この映画にとって象徴的というか示唆的と思いましたね。

あの事件の直後、ブッシュ大統領は、「我々の側につくか、悪人の側につくか」とあまりに単純化した二者択一を迫り、アフガンを空爆。

しかし、アルカイダやタリバンが生まれた背景にはアメリカ政府がいた、という事実はいまや誰でも知っています。

この映画でも、マイケル・キートンが大事な証拠を何年も前に受け取っていながらボツにしていたことが明らかになります。お、もしかして…と期待しましたが、彼は仲間内に告白するだけで実際の記事にそのことを書いたとは映画では描かれません。(おそらくその事実は記事には書かれなかったはずです。でなければ大バッシングの嵐でしょう)

アメリカがアルカイダを生んだように、この映画では、告発記事を書こうとしている記者が数年前に大事な証拠をつかんでいながら記事にせず、被害は拡大した。主人公たちの問題でもあるのに、そこには触れず、神父たちだけ叩いて終わり。

骨の髄まで実にアメリカ映画らしい映画です。いかにもアメリカ人が作った映画。ここまで物事を善悪二元論で単純化し、自らの非を認めず正義の鉄槌を下す。

アメリカ人にしかできない芸当です。大いなる皮肉をこめて。



町山智浩さんの『市民ケーン』解釈への反論

この『市民ケーン』、主人公ケーンがいまわの際につぶやく「薔薇のつぼみ」なる言葉の意味をめぐる物語なんですけど、私の解釈はご多分に漏れず、というか、かなりありきたりなものです

主人公は幼い頃に年5万ドルのお金と引き換えに大金持ちの養子に出されます。その場面から察するに、両親は金目当てなのではなく、父親が主人公に暴力ばかり振るうため、それを見かねて母親が里子に出そうとしていることがわかります。

父親の暴力に耐えた末に、守ってくれるはずの母親から結果的に捨てられることになる主人公。本当は捨てられたんじゃなくて守ってくれたんですが、そのために主人公はそれ以降、母親の無償の愛を知らずに成長します。

先日感想を書いた『ルーム』では、母親から無条件の愛を受けた息子が、無意識的にでしょうが母親に愛を返す結末が感動的でした。

「無償の愛」「無条件の愛」と書きましたけど、これは「二重形容」ですね。「愛」という言葉にすでに「無償の」「無条件の」という形容が含まれているのですから。

主人公ケーンは、何も見返りを期待しない本当の「愛」をほとんど知らずに育った、だから、反乱を起こすジョゼフ・コットンに言われますね。「君は、『愛してやる、だから愛し返せ』と言っているだけだ。そんなのは自己愛にすぎない」と。

愛人のスーザンをいくら愛しても愛し返してもらえない。だからよけい見返りを期待した愛し方をしてしまい、彼女どころか富と名声以外のものはすべて失ってしまう。

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ケーンは我が身を振り返って、自分がこんな不幸な人間になったのは母親に捨てられたあのときが原因なんだろう、と思ったのでしょう。だからあのとき手にしていた橇に書かれた「薔薇のつぼみ」という言葉をつぶやいて死ぬ。というのが私の解釈です。何度見てもこの解釈をしてしまうから、私にとって『市民ケーン』とは、「そのような映画」なのです。

ところが、その解釈は間違っているという人が現れました。

『トラウマ映画館』や『狼たちは天使の匂い』などその著書を何冊も愛読している町山智浩さんです。

町山さんは、「薔薇のつぼみとは愛人の性器のことだ」と言います。へぇー、と驚きました。何でも13世紀に書かれた擬人化小説のはしりである『薔薇物語』という本には薔薇のつぼみ、それもまだまだ固いつぼみのことが女性器のこととして書かれているらしいんですね。(ケーンが出会ったときのスーザンは処女だった、ということでしょうか)

「多くの人が橇に書かれてる言葉だから『母ちゃん恋しい』という映画だと思ってますが、それは違います。本当はスーザンのアソコのことなんです」とのこと。

それはそれでひとつの解釈でしょう。いや、ひとつの解釈どころか、おそらくオーソン・ウェルズとハーマン・マンキーウィッツが意図したのはまさしくそれに違いないという気さえします。少なくともそう解釈したほうが数倍面白い。

しかし、ここで大きな問題が二つあります。

ひとつ目は、映画にかぎらず「作品」と呼ばれるものの解釈はその作品の中だけでなされるべきだ、というものです。

私は不勉強のため『薔薇物語』なんて小説は題名すら知らなかったので読んでいません。読んでるかどうかはともかく、他の作品を参照しないと成り立たない解釈というのは、一種の衒学趣味だと思う。
確かに作者たちが、「母親への思いと見せかけて、実は…」という意図したことは充分考えられます。当時はまだまだ検閲が厳しかったですから女性器を意味するなんてはっきりと言えなかったでしょうし。

しかしです。ここからが二つ目ですが、「作者の意図通りに見なきゃいけない」などというルールは存在しません。仮にウェルズが「薔薇のつぼみとはスーザンのアソコのことだよ」とはっきり語ったとしても、です。

ちょっと前に三谷幸喜の『王様のレストラン』の感想を綴りましたが、それについて珍妙なコメントがつきました。私の解釈が作者である三谷幸喜の意図とずれてるから見る目がないんですって。何で作者の意図通りに見なきゃいけないのかさっぱり理解できません。

作者の意図=正解だとでも思っているのでしょうか。じゃあ作品を見ずに作者のコメントだけ読めばいいということになってしまいます。

作品を鑑賞するというのは正解を知るためじゃないでしょう。人生に正解がないのと同じで、作品にだって正解などありません。ただ自分はこう見た、自分ならこう生きる、というその人なりの思いしかない。

作者の意図=正解と思っている人たちは、正解を知ることで思考停止してしまってるんじゃないでしょうか。

おそらく、町山さんだって自分の解釈を聴衆に強いるつもりで言ったんじゃないと思います。「これもひとつの解釈ですよ」といった感じだったんじゃないかと想像しますが、問題は、町山さんの言ってることだけが唯一正しくて、あとは間違っていると言う人たちですね。

確かに、町山さんの解釈を聞いて私も蒙を啓かれましたが、それでもいま実際に『市民ケーン』を虚心坦懐に見直したところ、やっぱり以前と同じ、「薔薇のつぼみとは母との別れ、母への思いを意味する」という解釈に帰着せざるをえませんでした。

解釈は観客の数だけ存在するのだから、私の解釈も、町山さんの解釈も、そのどちらでもないぜんぜん別の解釈も、すべて否定できるものではありません。

とりあえず、『薔薇物語』を読んでみようと思います。


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マジッククリスタル!②(ホーリーちゃん、愚図る?)

たまたま見たテレビ番組で知ったマジッククリスタルを購入して育て始めて3日たちます。
いま、こんな感じです。

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ちょっと光の具合が悪くてよく見えませんが、半分より下あたりまで伸びてきているものの、種を蒔いた翌日(12時間後くらい)とさほど変わらないんです。

↓そのときの画像はこちら↓

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まぁ、やや育ってるといえば育ってますが、もう3日半たつのにちょっと成長のスピードが遅いです。10日で水面に出るって書いてますから。

前回の日記
で、育てる秘訣がある、俺はそれを知っている、と言いましたが、あれ、間違ってましたかね? これってひょっとして失敗!?!?

え? どういう秘訣か教えてくれって? 

いえいえ、秘密ですよ。ヒントを言うと、「ほめて育てる」みたいなもんでしょうか。人間の子どもを育てるのと一緒ですね。って育てたことないけど…(号泣)

しかし、いずれ私のやり方が正しかったと胸張って言える日が来ますよ。だってクリスタルですから。クリスタルって結晶ですから。結晶なんだからほめて育てるのが正しいに決まってるじゃないですか!

そうです。アレですよ、アレ。



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