聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

2015-16ベルナベウ・クラシコ(バルサに勝つための5-4-1)

いよいよ9時間後に迫ってきた今季初のクラシコ。舞台は我がレアル・マドリードのホーム、サンティアゴ・ベルナベウ。

パリ・サンジェルマン戦やセビージャ戦で自慢の守備が崩壊したとか言われてて、実際そうだと思うけど、メッシがいなくても絶好調のバルサにはたして勝てるのかどうか。負ければペレス会長は監督解任を考えているそうで、選手の声を聞く耳はもっているということかな。それなら最初からアンチェロッティを解任すべきでなかったと思うけれど、監督の首云々はともかく、優勝争いとかもどうでもよく、バルサにだけは負けてはならんのだ!!

というわけで、自分なりに勝つ方法を考えてみました。

まずはバルサの予想スタメン。

GK:クラウディオ・ブラボ
DF:ダニエウ・アウヴェス、ピケ、マスチェラーノ、ジョルディ・アルバ
MF:セルジ・ロベルト、ブスケツ、イニエスタ
FW:ムニル、ルイス・スアレス、ネイマール

うん、メッシは先発させないほうがいいかと。変に無理させて再発してしまうより、後半の起爆剤としてベンチに置いておいたほうが得策でしょう。セルジ・ロベルトではなくラキティッチが先発なのかどうか。あとは鉄板かしら。

さて、翻ってレアルですが、守備をいかに安定させるかが眼目で、カジミーロをアンカーにした4-3-3で行くのか、それともクロースとモドリッチをダブルボランチにした4-2-3-1、あるいは4-4-2で行くのか、といろいろ言われてるようですが、私は5-4-1を提唱したい。そう、5バックで行くのです。


5-4-1copy

GK:ケイロル・ナバス
DF:カルバハル、ヴァラン、ペペ、セルヒオ・ラモス、マルセロ
MF:ハメス、モドリッチ、クロース、ベイル
FW:クリスティアーノ・ロナウド

守備的すぎる? いやいや、5-4-1は守備時の話であって、ボールを奪えばすぐさま超攻撃的3-4-3に変貌します。

GK:ケイロル・ナバス
DF:ヴァラン、ペペ、セルヒオ・ラモス
MF:カルバハル、モドリッチ、クロース、マルセロ
FW:ハメス、クリスティアーノ・ロナウド、ベイル

レアルの現4-3-3の弱点は、普通4-3-3といえばバルサもそうですが攻撃に重きを置いたシステムのはずなのに、実際にはものすごく守備的なところではないかと。

だから、奪ったらすぐ3-4-3になって前がかりに攻めて、奪われたらすぐ5-4-1に陣形を戻して3人の最強センターバックトリオとクロース&モドリッチで何とか守る。

そして、この11人の場合、選手交代せずに4-4-2にも4-2-3-1にもそして4-3-3にもなれるのが最大の利点かと。

4-4-2(カルバハルを1列上げる)
GK:ケイロル・ナバス
DF:ヴァラン、ペペ、セルヒオ・ラモス、マルセロ
MF:カルバハル、モドリッチ、クロース、ハメス
FW:クリスティアーノ・ロナウド、ベイル

4-2-3-1(ハメスをトップ下に)
GK:ケイロル・ナバス
DF:ヴァラン、ペペ、セルヒオ・ラモス、マルセロ
MF:モドリッチ、クロース;カルバハル、ハメス、ベイル
FW:クリスティアーノ・ロナウド

4-3-3(ペペをアンカーに)
GK:ケイロル・ナバス
DF:カルバハル、ヴァラン、セルヒオ・ラモス、マルセロ
MF:モドリッチ、ペペ、クロース
FW:ハメス、クリスティアーノ・ロナウド、ベイル

というわけで、流れのなかでどんどんシステムを変えて相手を混乱させるのがいいんじゃないかと思いますね。

しかしながら、上記はすべて「ベンゼマを先発させられない」という前提で書きました。レアルの攻撃はベンゼマがいるのといないのとでは大違いですが、召集メンバーには入ったけど先発かどうか怪しいので、上記5-4-1とそれから派生するさまざまな奇策を考えましたが、奇策はあくまでも奇策。やはり王者として奇策など使わずに戦ってほしいのが本音。もしベンゼマが出られるなら、これ以外にない! というシステムでやってもらいたいですね。

システム4-2-3-1
GK:ケイロル・ナバス
DF:カルバハル、ヴァラン、セルヒオ・ラモス、マルセロ
MF:モドリッチ、クロース;ベイル、ハメス、クリスティアーノ・ロナウド
FW:ベンゼマ

これが一番堅い。ベンゼマにボールが収まれば攻め手が増えるだけでなく何よりもバルサのポゼッションを下げることができるしね。

イスコは私はどこがそんなにいいのかわからないのでやっぱりハメスを! もっと好きじゃないのはベイルなんですけどアホ会長のお気に入りなのでベンチスタートにした時点で解任だろうから、ベイルを入れて考えました。

とか言っても、やっぱりカジミーロを使った4-3-3なのかなぁ。それだけはやめてほしいんですけどね。

ともかくあと9時間。括目して待ちましょう。



クラシコスペシャル!!(グティ落選、そしてレナウド…)

いよいよあと17時間後に迫った今季最初のクラシコ。

昨日の「クラシコ直前! 生放送スペシャル」を見ました。

クラシコ史上最も偉大な選手トップ50の発表がメインで、その合間にクラシコ・プチ情報などを紹介してくれるなかなか面白い番組でした。

まぁいろんな選手がいるけれどもどうせメッシが1位だろうと思っていたら、やっぱりその通りの結果に。

①メッシ
②ロナウジーニョ
③クリスティアーノ・ロナウド
④ジダン
⑤ディ・ステファノ
⑥クライフ
⑦ラウール
⑧シャビ
⑨プスカシュ
⑩フィーゴ

あとは省略しますが、うーん、どうなんですかねぇ、この結果は。

メッシは歴代最多21ゴール決めてるし生ける伝説だからいいような気もしますが、ディ・ステファノとクライフが5位と6位って低い気がする。リアルタイムで見てたわけじゃないけど、いや逆にリアルタイムで見てる選手が上位に来るって何か落ち着かない気がするのは私だけでしょうか。

映画でも、時折「史上ベストテン」とかあって、毎度『市民ケーン』が1位なのにはもう辟易するしかないんですが、それでもいくら好きな映画だからって『ゼロ・グラビティ』とか『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』とかが1位になったりしたらそれはそれでやっぱり落ち着かない。それなら『市民ケーン』が1位に座っていてくれたほうがまだしもしっくりくる。

だから1位はディ・ステファノかクライフであってほしかったな。

それに、プジョルとカシージャスが19位と20位ってあまりに低くないですか? 最近の選手が上位に来るなか、この二人の生え抜きレジェンドの順位が低すぎます。特にプジョルはマドリディスタの私も大好きでしたよ。放送中でも何度も流れてましたが、あのヘディングシュートは素晴らしい!!! まさに魂のゴールでしたね。

あと、私の大好きなグティが50位にすら入ってないというのはどーゆーこと???


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スルーパスだけならあのジダンよりはるかに上だったと思いますが、やはりラフなイメージが災いしたんでしょうか。それにクラシコ直前に怪我して出れないなんてこともしばしばだったし。

それでも私にとって「サッカー選手」といえばホセ・マリア・グティエレス・エルナンデス、通称グティこの人のことです。

あと気になったのは、クラシコの特集番組なのになぜ他のリーガやチャンピオンズリーグのダイジェストが流れるんですかね? ゴールがない選手でも激しいタックルで相手のチャンスをつぶしたシーンとか探せばあると思うんですけど。

とかそんなことよりも、昨日の番組にはロナウドならぬ「レナウド」が出ていたことが一番良かったです!!








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そうです、リーガールの武田玲奈ちゃん。司会のペナルティ・ヒデが「レナウド」と紹介していたのでこれからはそう呼ばせていただきます。

このレナウドが合間合間にクイズを出すんですが、思いきりカンペ読んでて普通なら怒られまくりでしょうし、視聴者からもクレーム来まくりなんでしょうが、おそらくそういうことはなかったでしょう。だって、かわいいから。
うまくカンペを読めなくてちょっとずつしか読めないんですけど、それが逆に初々しくてかわいいんですよ。だからすべて許します。

こんなこと言うと女性は「何で男ってそうなの?」と真顔で訊いてきますが、当たり前じゃないか!!! かわいい女こそ女であって、かわいくないあんたは女じゃないって現実に直面してください。

実家で飼ってるわんこは大自然がものすごく厳しいところだということを少しも知らずに呑気に暮らしてるんですが、だからこそかわいいわけです。

レナウドも箱庭娘として無垢で天真爛漫なまま天寿を全うしてほしいとすら思いますね。

何だかクラシコがどうなるとかそういうことよりレナウドの日記になってしまいましたが、あと17時間、括目して待ちましょう。



池波娼婦、若尾娼婦、三田娼婦(娼婦描写の政治学)

このところ娼婦づいてます。

池波正太郎の『娼婦の眼』(講談社文庫)
川島雄三監督、若尾文子主演『女は二度生まれる』
成沢昌茂脚本・監督、三田佳子主演『四畳半物語 娼婦しの』

まずは『娼婦の眼』
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池波正太郎が若き頃にはまだ赤線というものがあり、この連作短編が書かれたのは赤線が廃止された直後の時代なんですが、廃止されても買売春というものがありそれが人間の悲しい性であって、違法行為に手を染めてもたくましく体を売って生きていく女たちの姿が描かれます。

そのコンセプトには一も二もなく大賛成なんですけど、やはり娼婦というと「汚れた仕事」という世間一般のイメージがあるからか、「娼婦は世界最古の職業なのである」と作者自身が言っていて、これは娼婦という仕事の素晴らしさを謳っているというより開き直りとも言い訳とも取れる言葉なんですね。

そのためか、この短編集で描かれる幾人もの娼婦には縁談が持ち込まれるんですが、相手の男がいくら女のことが好きでも娼婦だとわかった途端、手の平を返したかのように「騙したな!」と激怒して去っていく。そんな男の馬鹿さ加減を作者は嗤っているしこちらも笑っちゃうんですけど、しかし、娼婦を否定する存在を描くことで逆に娼婦賛歌にもっていくやり方が私はどうしても好きになれないんですね。

それは、名監督・川島雄三がこれまた名手・井手俊郎と脚本を書いた『女は二度生まれる』でもっとひどくなります。

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若尾文子演じる娼婦は、ある社会的地位の高い旦那・山村聡の二号であり、すし職人フランキー堺や最後まで何が商売かわからない山茶花究らが常客でもあり、さらに童貞君の筆下ろしをする存在でもあり、また、関係はもたないけれどあるエリート大学生を好きになる純粋な存在でもあったりします。

ここには娼婦を否定する人はほとんど出てきません。唯一、山村聡夫人の山岡久乃が山村が死んだときに喧嘩しに来ていろいろ汚い言葉を浴びせかけるくらいでしょうか。それでも山岡久乃は「娼婦」である若尾文子を難じに来たのではなく、あくまでも「愛人」だった若尾に嫉妬していただけです。娼婦という存在を否定しているのではありません。

この映画では終始、娼婦であり金持ちの二号である主人公の喜怒哀楽を何の批評もなしにそのまま純粋に描いています。ラストシーンまでは。

ラストシーンは、いつの間にか結婚して子供までいるフランキー堺と電車の中で一瞬の再会をした若尾文子が次の駅で降りて、たった一人で垣根に座ってため息をつくというものです。このカットがとてもいじわるというか、若尾文子を大ロングショットで撮るのですね。3日前の『レインマン』に関する日記では、主人公を客観的に突き放すならロングショットかフルショットで撮るべきだったと書きました。あれは、「改心したのに時すでに遅しだった主人公に対して『自業自得だったんだよ』という批評の意味を込めてほしかった」という意味でしたが、この『女は二度生まれる』のラストの大ロングショットは「娼婦は好き勝手に生きてるけれど、こんなにも孤独で淋しい存在だ」という批評には違いないですが、それまで主人公を批評する登場人物がいないのに最後の最後で作者たちが主人公に批評を下しています。

『娼婦の眼』ではあくまでも登場人物たちが娼婦を批評するのでした。そして娼婦を批評した人物に対して作者がさらに批評を加えることで娼婦賛歌になっていましたが、『女は二度生まれる』では作者が直接娼婦を批評していて不快でした。作者たちが主人公を見下していて、少しも愛していなかったことが最後の最後で明らかになるなんて、それまでの時間は何だったんだと。この映画は娼婦を馬鹿にしています。すべての観客から唾棄されるべき愚作と断じます。

では、名脚本家・成沢昌茂が監督も務めた『四畳半物語 娼婦しの』ではどういう娼婦の描き方がなされていたのでしょうか。

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画像にあらすじが書かれていますが、『女は二度生まれる』と同様、ここでの三田佳子(と野川由美子)を批評する登場人物はいません。しかし『女は~』とは違って作者が三田佳子と野川由美子を批評することもありません。

最後は、情夫を殺され、殺したのが好きだった糺という男で、すべてを失った娼婦しのが新しい客に抱かれる顔のクロースアップで終わります。『レインマン』で、主人公の心情に寄り添うならクロースアップで撮るべきだと言いましたが、この映画ではまさにそれが実践されているのですね。

別に三田佳子も野川由美子も「娼婦だから」不幸になったのではありません。ただちょっとした運命のいたずらで不幸になっただけです。娼婦だから汚れているとか、娼婦だからこそ尊いとか、そのような善悪二元論とも無縁です。

ただ、悲しい目に遭いながらもそれでも客がついたらその男に身をゆだねなければならない娼婦という存在の哀しみに作者がそっと寄り添うのみです。

これは、いくら悲しくつらい目に遭っても、それでも生きていかなければならない人間全般に対する愛情に通じます。

だから、『四畳半物語 娼婦しの』は傑作だと思うのです。決して溝口ばりの長回しで撮られているから傑作なのではなく(確かにあの長回しの連打は素晴らしかったですが)娼婦を「娼婦」と見ず、「たまたま体を売る仕事をしているだけのただの人間」という捉え方に非凡なものがあったと思います。

池波正太郎でも川島雄三でもなく、監督の経験があるなど知りもしなかった脚本家・成沢昌茂によるこの名もなき一編の映画こそ娼婦物語の傑作と声高に言いたい。

体を売ることは悪か悪でないかという善悪二元論から脱し、「政治的な正しさ」からどこまでも自由なのですから。



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