聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

ETV特集『キャメラマンMIYAGAWAの奇跡』を見て痛感した「遊び心」の重要性

昨日放送されたETV特集『キャメラマンMIYAGAWAの奇跡』。
宮川一夫の助手を長年務め、いまは『雨月物語』などの修復作業をしている宮島正弘さんの顔を久しぶりに見ました。はっきり言って私はこの人に恨みがあります。


ETV-MIYAGAWA1
(右側が宮島さん)

「遊びすぎ」と非難され
専門学校での卒業制作で、私が編集を務めた作品に対してえらく文句を言ってましてね。いや別に編集に難癖をつけられたわけじゃないんですがね。カメラマンだから撮影のことと、あとは全体的な物語とかテーマについて。

私が原案を出したものですが、みんなで何か月もかけて話し合って作った脚本と、それをもとに撮った映画に対し、事務局で「ダメだあんなのは。ふざけすぎ」とか言ってたんです。隣の部屋にいた私たちは苦々しく聞いていましたが、監督の友人はわざと聞こえるような声で「そんなんやから一流になられへんのや!」と毒づいていました。

そりゃそうでしょう。だって、私たちは「あえてふざけて」あの映画を作ったのだから。

アホみたいな内容の話を大真面目に見せる、というのがコンセプトだったんですけど、それを編集でグチャグチャにしてやろうと。

私にとって「映画編集ベスト3」はいまも昔も変わらず、

ゴダール『勝手にしやがれ』
トリュフォー『突然炎のごとく』
スコセッシ『グッドフェローズ』

なんですけど、彼らのように「映画作りにルールなんかない」ということを証明してやろう、くらいの気持ちでやっていました。はっきり言って「むちゃくちゃやろうよ」と。

大映の末期を支えた編集マン、谷口登司夫先生は「荒削りなアマチュアらしさがあってとてもいい。うまくなってはいけない」と私の編集が一番好きだと絶賛してくれました。

また、照明の中岡源権先生も「なかなかよく遊んでる」とほめてくれたし、名前は忘れたけど撮影所の所長さんも「すごく面白かった」と、上のほうの人ほどほめてくれたんですよ。

その作品を宮島さんは「遊びすぎ」だという。


宮川一夫の遊び心
『羅生門』で太陽に向けてレンズを向けるという黒澤の大胆不敵な思いつき。たぶん宮島さんだったら頭から否定していたと思う。でも宮川一夫は黒澤の「ルール無視」「既成概念破壊」を大いに楽しんだ。

『無法松の一生』のあの有名な重ね撮りのディゾルブも、『おとうと』の銀残しも、『浮草』で降らせた土砂降りの雨も、小津作品には珍しい、人物の顔に照明を当てない撮り方も、すべては「遊び心」があったからこそ。

『浮草』(の特に俯瞰)については「やりすぎたか」と後悔していたみたいですが、でもそれぐらいのことをやらないとね。

そういえば、宮島さんは番組内ではっきり自分のことを「技術屋」だと言っていました。

宮川一夫は自分のことを「技術屋」とは思っていなかったでしょう。溝口から「芝居は監督の私がつけるから、その芝居をちゃんとつかんで撮れ」と言われて、「そのほうがやりやすい」と言ってましたもんね。技術屋の宮島さんに溝口の片腕が務まったとはとても思えません。

カメラマンは確かに技術屋の側面もあるだろうけど、同時に「創作家」「芸術家」でもあると思う。

それを可能にするのが「遊び心」。映画作りにルールなんかない。



両親が心配な件2

今日はまた両親に心配なことが起こってしまいました。

父親が転倒し、前歯を折ってしまったのです。

昼前に皮膚科に行く予定で、プールに行く母と一緒に途中まで行ったそうです。最近うちの父は一人で映画を見に行けなくなってしまいました。映画館の場所がわからないのです。何度も行っている街で迷子になってしまうのだとか。だから今日も皮膚科まで一緒に行こうかと問うたらしいのですが「ボケ老人扱いしてほしくない!」と怒って一人で行ってしまったと。とりあえず道順は伝えたらしいのですが、その後すぐ電話がかかってきて転倒したと。

母親が駆けつけてすぐ近くの病院に行ったのですが、歯が折れているので口腔歯科に行ってくださいと言われ、折れた歯と連結していた別の歯も一緒に3本もの歯をいっぺんに失ってしまいました。
さらに、奥のほうの歯も折れてるかもしれないとのことで、後日レントゲンを撮って、根元のほうが折れてたら抜かないといけないらしいです。なぜ今日レントゲンを撮ってくれなかったのかはわかりません。

私が実家に帰ると処置を終えた父は帰っていて、血だらけの口元の絆創膏が痛々しい。

晩ご飯はステーキでしたが、「食べれる?」と母が訊くと「大丈夫!」と返事して頑張って食べてました。とはいえ、すでに奥歯は何本かすでに入れ歯のうえに、前歯を失うとなると食べ物がおいしくなくなって一気に老け込むのではないかと心配です。

というか、今日転倒した場所というのがぜんぜん皮膚科の近くじゃなかったのです。なぜそこに? という場所だったとか。どうしてそこへ行ったのかと訊いても本人は「忘れた」と言うばかり。母は「映画館にも行けないし、皮膚科の場所がわからなくなったんじゃないか」と言っていました。同感です。

電車から30分の街の地図を忘れてしまったのはまだしも、自分の家の近くの地図すら忘れかけているとなると、これから犬の散歩にも行けなくなるかもしれない。散歩が唯一外界との接点と言っても過言じゃないのに、それもできなくなると老け込む一方でしょう。

母はまだ元気です。と言いたいところですが、もともと遠くなっていた耳がさらに遠くなっていて、普通に近くでしゃべっているのにまったく聞こえていない様子。大丈夫だろうか。

犬のダイエットが成功。本来喜ばしいことも何かちょっと切ない。前回12.8キロでダイエットさせといてと頼んだらだいぶ奮起したらしく、今日は11.8キロ。一気に痩せすぎじゃないか。逆に心配。もうちょっと食べさせてあげもいいような。それも含めて、何か極端から極端へ走っている二人。

唯一のグッドニュースは、今日、もともとプールへ行くつもりだった母が、父と別れたあと「何となく気が向かなくて」プールへ行かずに帰宅したらしいのです。だから父からの電話にすぐ出れた。不幸中の幸いというか、「虫の知らせ」を感じ取る霊性だけは残っているようです。

村田沙耶香『地球星人』(一人称の万華鏡)

芥川賞作家・村田沙耶香さんの最新刊『地球星人』を読みました。(以下、ネタバレがありますのでこれから読む予定の方は絶対に読まないでください)




驚愕のラスト
というわけで、この記事を読んでいる方はすでに作品を読んでいる方のみと思いますので、あらすじの紹介などはしません。

世間のことを「工場」と表現したり、異性と恋愛して結婚して出産して家庭を築くという「普通の幸せイデオロギー」に対し著者はまた果敢に挑んでいるなぁ、とは思ったものの、これまでもそういう主題のものが多いから面白さよりも「既視感」のほうが大きかったんです。

ただ、それがラスト数ページで崩れ去りました。何と人肉食が描かれ、さらには男二人、女一人、合計三人が三人とも「妊娠」してしまうのですから。性交をしないと取り決めていたわけですから単性生殖ということですよね。しかも「明日はもっと増える。あさってはもっと」というセリフから察するに、単細胞生物並みのスピードで増殖するまったく別の生き物、つまりポハピピンポボピア星人に……


ウソから出たマコト?
結末まで読んで完全に頭がくらくらしていわく言い難い感覚に襲われました。奈月、由宇、智臣の三人がほんとにポハピピンポボピア星人になっちゃった、と。

しかし、おかしい。地球星人だった三人が幻想でしかなかったポハピピンポボピア星人になった、というなら「ウソから出たマコト」でしかないでしょう。村田沙耶香がそんなの書くだろうか、と。

逆ではないか。

彼らは最初からポハピピンポボピア星人だった。元の姿に戻っただけだと。文中にも「地球星人なんてポハピピンポボピア星人が作り上げた幻想じゃないか」という表現があります。「工場」の側の地球星人も実はみんな「元ポハピピンポボピア星人」であって、「工場」の洗脳によって地球星人としてふるまっているだけ。「まるで演技のように」「テレビドラマのように」という表現が多々ありますが、「現実は芸術を模倣する」というオスカー・ワイルドの至言を彼らはどこまでも生真面目に実践しているのですね。


一人称のマジック
「私たちは手をとりあい、肩を寄せ合って、地球星人の住む星へと、ゆっくりと踏み出した。光に包まれた私たちに呼応するように、地球星人たちの鳴き声が、この星の遠くまで響き渡り、森を揺さぶりながら広がっていった」

これが最後の一文ですが、「この星」というのはポハピピンポボピア星のことですよね。ほとんどの人が「地球」と思っている星の本当の名前。

なんですけど、この『地球星人』は一人称小説です。三人称なら作者が客観的に記述するわけだからその通りに受け取るしかありませんが、あくまでも主人公・奈月の語りなので「この星=ポハピピンポボピア星」とは限らないんですよね。やっぱり彼らは元地球人で、変な幻想に囚われた果てに人肉食(共食い)までやっちゃったから別の生き物に変身しただけなのかもしれない。

もともとこの物語は、奈月がお年玉で買ったぬいぐるみにピュートと名付け、そのピュートがポハピピンポボピア星人であり、魔法警察の任務を受けて危機に陥った地球にやってきた、そしてピュートが奈月に地球を守るよう魔法少女になってくれと依頼するところから始まります。

そして最後、別の生き物になった奈月がピュートを拾い上げると、人間の髪の毛で編まれた、ぜんぜん違う姿になっています。

ピュートがポハピピンポボピア星人だというのは奈月の幻想なのは明らかなんですが……


伊賀崎を殺したのは誰なのか
塾講師の伊賀崎を殺す場面でもピュートが命じるままに殺した、というように書かれていますが、はたして本当に伊賀崎を殺したのは奈月なんでしょうか?

奈月の姉が凶器の鎌や血の付いた靴下などを遺族に渡したのは本当なんでしょうけど、それだって姉が変質者が殺すところを目撃して証拠も握っていたけど、ここぞというところで妹を罠にはめてやろうともっていただけかもしれませんよね。

だって、伊賀崎殺害のあと、彼はある日から白いワゴン車に尾行されていると友人に話していたというし、恐くて眠れないから睡眠薬を飲んでいたという証言もあった。本当に別の変質者に狙われていたのではないか。それを奈月は自分が殺したかのように思い込んでいるだけではないのか。

一人称で書かれているうえに、殺害のはっきりした描写がないからどこまでも灰色です。というか、私は姉が伊賀崎を殺した可能性が一番高いと思う。伊賀崎と奈月がキスしていたのを目撃したと妬ましそうに言ってましたし。


ピュートはなぜ答えない?
伊賀崎を殺したかのように見える場面で、ピュートから「実は君は本当はポハピピンポボピア星人なんだよ」と告げられるも「ポハピピンポボピア星に帰れる?」と訊くと「■■■■■」という聞き取れない返答しかない。ピュートは奈月の幻想なのに答えが聞こえないっておかしいですよね。

というか、智臣と由宇がポハピピンポボピア星人になることに何もためらいがないのに対し、奈月は最後まで躊躇しています。人肉食の直前、「そんなことをしたらもう二度と地球星人の仲間には入れてもらえないのではないか」と思う奈月は、自分はポハピピンポボピア星人という幻想を生み出した張本人でありながら、地球星人であることに未練があるようです。「早く洗脳してほしい」という言葉もあります。あんなに洗脳を嫌がっているのに。


何があっても生きのびること
幼かった頃の奈月と由宇は「何があっても生きのびること」を誓い合って一年に一度の逢瀬を楽しんでいました。そしてその同じ言葉が終章近くでも語られます。

どうやら奈月にとって大事なのは地球星人の洗脳から逃れてポハピピンポボピア星人になることではなく、地球から故郷の星へ帰ることでもなく、「生きのびること」にあるようです。

だから、奈月たち三人が単性生殖で増殖能力の高いポハピピンポボピア星人になったという結末は奈月の幻想、妄想というのが私の解釈です。

伊賀崎がロリコンの変態だったことは確かでしょう。奈月は伊賀崎が殺してやりたいくらい嫌いだった。そして伊賀崎は何者かに殺された。でも「客観的事実」と言えるのはそれだけじゃないでしょうか。誰かが伊賀崎を殺したというのを聞いて自分が殺した、これでポハピピンポボピア星に帰れる、つまり地球で息苦しい思いをせず故郷の星で思いっきり人生を謳歌できると思いたかったのでしょう。本当は殺してないのに。そう考えればピュートの「■■■■■」という返答にも納得がいきます。

奈月は伊賀崎が嫌いだし、姉も嫌い、両親も嫌い、由宇と智臣以外の誰も彼も嫌い、とても息苦しい思いをしている。それでも生きていかねばならないから少しでも生きやすいように「地球星人なんてポハピピンポボピア星人が作った幻想なんじゃないか」という幻想を生み出した。しかし地球星人として普通に行きたいという欲求もある。

奈月にとって大事なのは「生きのびること」。生きのびられるのであれば地球星人であろうとポハピピンポボピア星人であろうとどっちでもいいのだと思います。ただ、人肉食などという許されないことをしてしまった以上、もう地球星人ではいられない。ポハピピンポボピア星人になるしかない、ということで三人がポハピピンポボピア星人になった妄想の中で生きのびることにしたのでしょう。

そう考えると、かなりぶっ飛んだ結末が、とても哀しい結末に思えてきます。


作者の罠
しかし、どこからが奈月の妄想なんでしょうか?
人肉食をしたあと、姉たちが押し込んでくる最終盤だけでしょうか。

ここでもう一度、姉が奈月と伊賀崎について話すシーンを思い起こしましょう。
姉は「奈月ちゃんが殺したの? そんなはずないよね」と言っていました。自分が殺したのならそんなこと言わないでしょう。ただここで大事なのは、このときすでに奈月の周りの人間はみなセックスのことを「仲良し」と言っているということです。

そんな表現をする人間は現実にはいません。ということはあのシーンからすでに妄想? いや、もしかしたら由宇とセックスして一族から締め出しを食らったときから? いや、もしかして最初から? すべてが奈月の夢?

もしかするとこの物語は、恋愛至上主義・結婚至上主義・出産至上主義と闘ってきた村田沙耶香という人の「地球星人の洗脳から逃れたい」「ポハピピンポボピア星人になりたい」という永遠に報われない願いを、奈月という架空の存在に託して語られたものなんじゃないか。

そんなふうにも読めてくるこの小説はまるで万華鏡のようです。少なくとも著者にはすでに「宇宙人の目」がダウンロードされているのでしょう。


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